『フェル・アルム刻記』 第一部 “遠雷”

§ 第七章 〈帳〉

一.

 ルード達はルシェン街道からはずれ、とうとう“遙けき野”と呼ばれる広大な大地に足を踏み入れた。
 街道周辺で寝泊まりを繰り返すうちに、ハーンの身体も次第に癒え、再び軽口を叩きながら一行を先導出来るまでになった。ハーンの負担をなるべく減らすべく、ルードとライカが協力したことがハーンの回復に繋がった。ハーンに任せっきりだった夜の見張りなども、二人が代わって行うようになった。また、ルードもこういうことの積み重ねによって、ライカとより親しく接するようになり、嬉しく思うのだった。
 ライカもこの世界に慣れたのか、はたまたルードを想い、目一杯の信頼を置くようになったためか、彼女本来の気性を現してきた。それはお転婆とも言える快活なものだったが、時折みせる神妙さと相まって、ルードはますます彼女に惹かれていくのだった。
 傷の癒えたハーンは、あからさまにお互いを意識しあう二人に対し、冗談を交えて冷やかすのだった。二人が夜の見張りをしている時にこっそりと起きだして、茶化したこともあったが、さすがにこの時ばかりは二人から怒られた。
 道なき荒野をさまようのは、彼らの肉体的にはさほど苦痛でもなかった。方角は太陽や、夜の星々が示してくれた。
 問題となったのは食料だった。何せ、クロンの宿りを大急ぎで飛び出してきたものだから、ろくな蓄えがなかったのだ。ただ幸運なことに、痩せこけた大地と言われていた“遙けき野”においても、緑に生い茂った地は存在し、一行はそこで丸一日を過ごして食料と水を補充したのだった。

 そうこうしている間に広野の中でまるまる七日が過ぎ、彼らにも疲れがみえてきた。ルードも手綱を握りながらうとうととすることがたびたびあり、ライカに代わってもらうことも多くなった。旅慣れたハーンですら眠気に耐えようとしている。しかし食糧の問題から、休み休み旅を行うことも出来なかった。
 日を経るに従い、倦怠感に包まれた彼らは次第に無口になっていった。赤い土で覆われた荒野。乾燥し、痩せこけた荒涼とした大地。緑に囲まれながら日々の暮らしを送ってきたルードとライカにとってそれは、あまりにも見慣れないものであった。彼らは時折、背後に小さく映るスティン山地を、懐かしむ目で見るのだった。

 そして八日目。
 ハーンはそろそろ到着してもいい頃だ、と言う。だが、周囲に広がるのは一面の荒野のみ。建物と呼べるようなものなど見あたらない。ハーンは疲れながらも術を行使し、視覚を遠くまでとばしたりしたものの、彼がかつて過ごした家、館とまで言えるような大きな建造物はついぞ見つからなかった。そんな時、ハーンは肩をすくめるようにしておどけてみせた。とにかく進むしかない。

「……あら?」
 変化に気付いたのはライカだった。彼女は馬を止めると目を閉じ、意識を集中させた。それにならうように、ハーンも馬の歩みを止めた。
「……どうしたのさ?」
 ライカの背中ごしにルードが言った。
「……ごめん。ちょっと黙ってて。風が――」
 振り返らずライカは言う。ルードはハーンのほうを見た。ハーンは何も感じていないようだ。
「そう。風の様子が変。今まで常に流れていた風の力が、ここでは止まっているのよ。それも、かなり長いこと……」
「ふうん。どういうことだい?」と、ハーン。
「風の流れが異質なのよ。まるでこの場所では時間が流れてないような、そんな感じで。アイバーフィンとしての知識で言えば、これは自然じゃないわ。いくらフェル・アルムがアリューザ・ガルドと異なる世界だとしても、今までは全て自然の理《ことわり》どおりだったもの。この感じは……そう! 誰かが意図的に作り上げたとしか思えないわ!」
 ライカは目を閉じたまま、答える。
「……てことはさ、大賢人の家はここら辺にあるのか?」
 ルードの顔がにわかに明るくなった。
 ハーンは周囲を見渡し、“遠見の術”を再び使う。
「うーん。結界かな? 外見ではなんにもないけど、〈帳〉の家はここにあるのかあ……」
 彼の言うように、周囲にはまるでそれらしいものはない。ルードは馬から下りた。
 その途端、ルードの足下から、何か異質なものが理解不可能な言葉で囁いてくるような、妙な錯覚にとらわれた。ルードははっとして足下を見たが、そこにはただ赤茶けた土があるのみ。今までと変わらないようにみえたのだが――。
(なんだこれ……変だ。……でも、よく分からない……)
 ルードは不可思議な感覚に戸惑った。
「確かに……どこか違う気もする……」
「どうかしたの、ルード?」
 集中を解いたライカが、ルードを後ろから見つめる。
「ああ。なんて言うか……感じが変なんだ。地面に立って気付いたんだけど、何かが……うまく言えないけれども、ここは違うんだよ」
「ルードもそう感じるのか。悔しいけど僕にはよく分からないなぁ。でも、おそらく〈帳〉がこのあたりにいて、目をくらますために結界を張っているんじゃないかっていうのは確かかもね。そういえば十三年前、〈帳〉の家を後にした時も、彼は目をつぶるように言ってたっけ。あれが結界だったのか」
 ハーンはそう言うと馬からひらりと下りた。ライカもそれに続く。
「しかし、たいしたもんだね、ルードも。ガザ・ルイアートから土の力を得るなんてさぁ」
「なんだよ、それは?」
「つまりさ、君に大地の意思が伝わるようになったってことさ。ルードの力は目覚めたばっかりだから、大地が何を語らんとしているのか、君には分からないみたいだけど、ライカが風の力に敏感なように、そのうち君もくみ取れるようになるんじゃないかな?」
「まあいいや。それより、ここが〈帳〉のいるところだとして、どうするんだ?」
 ルードは顔を上げた。
「ハーンだったら術で結界を解けるんじゃないかしら?」
 ライカは言うが、ハーンは首を横に振った。
「いやあ、無理無理。ライカとルードがいなけりゃあ、結界が張られていること自体分からなかったもの。ただでさえ結界を解くのは非常に難しいのに、こんな高位の結界じゃあ、僕の力では無理だよ。さすがは〈帳〉。“礎《いしずえ》の操者”、“最も聡き呪紋《じゅもん》使い”と呼ばれただけのことはあるね」
「はあ。しかし、どうするさ? ここまで来て『結界で通れませんでした』って引き返すわけにだっていかないだろうに?」
 ルードは岩の上に腰掛け、一息ついた。
「大賢人様は、結界の内側からこっちがわの様子が分からないものかしらねぇ?」
 ライカもルードの隣に座り込み、疲れを癒やすかのように大きくのびをした。
 ハーンはぐるりと辺りを見回し、やがて意を決したかのように大きく息を吸い込み、
「大賢人様ぁー! 〈帳〉さあーん! 私はティアー・ハーンです! 館に入れてもらえないものでしょうかー!」
 と、ハーンは張りのある大声を出し、岩に腰掛けた。
「……ふう。これでなんかしらの応答がありゃあいいんだけどね。ま、気長に待つとしようよ。僕らの目的地はここなんだから、後は〈帳〉のほうが門を開けてくれるのを待つとしないか?」
 ルードはごろりと仰向けになった。青い空には雲がゆっくりと流れている。南中に近い日の光は優しくルードを包み、ルードの肌をくすぐるように吹いてくる風も――ライカは風の異変を訴えたが――心地の良いものであった。先ほどまで頭の中に入ってきた奇妙なざわめきも、今では聞こえなくなっていた。
「そういやここ一週間、動きっぱなしだったんだな。とりあえず目的地には着けたし、よかったとするかぁ……」
 あくびを一つ、ルードは呑気に言った。
 誰のものでもなく、溜息が出る。一行は姿勢を崩さず、しばし岩と化した。

「なんと。古い友人が尋ねてくるとは……」
 雲の移りゆくさまを眺めていたルードは、聞き慣れない声に、はっとして起き上がった。うたた寝をしていたライカと顔を合わせるが、彼女も怪訝《けげん》そうな顔をするのみだった。
「〈帳〉だ」
 ハーンは立ち上がるとあたりをぐるりと見渡した。そのハーンの行動に応えるかのように声が言う。
「実に久しいな、ティアー・ハーン。まこと短き命しか持ち合わせないバイラルにあって、稀有《けう》にも君は姿を留めているかのようだな。……まあ、それはいい。十年ぶりかな?」
(この声が〈帳〉。大賢人か)
 真実を知る、と聞かされてきた人物と、ついに対面が叶うのを知ったルードは胸が高まった。〈帳〉の声は、鐘の鳴るような美声ではあるが、感情を抑えたもののようにルードには思えた。
「十三年ぶりとなりますね。お久しぶりです、大賢人様」
 恭《うやうや》しくハーンが答えた。
「なに、〈帳〉で構わない。ハーンと……そこの二人も何かわけありのようだな。一体どのようなおもむきだ?」
 〈帳〉の声はどこからともなく聞こえてくる。
「では〈帳〉……とりあえず僕達をあなたの館に招いてくださいませんか? 結界が張られていては、僕にはどうしようもないんですよ」
 一瞬、〈帳〉が苦笑したような気がした。
「それはしかり。失礼をしたな。では結界を解こう。客人達よ。しばし目を閉じていてくれないか。君達が視覚に頼っている以上は、結界内には入れないのでね」

 ルード達はおのおの目を閉じた。途端に、ルードは自分の体が宙に浮くかのごとく軽くなっていく感覚を覚え、次には今までざわめいていた地面が、次第に自然そのものに還るような感覚を知った。帯剣しているガザ・ルイアートからも、人のぬくもりに似た暖かさがルードの頭の中に伝わってきた。
「目を開けてくれ、客人よ」
 声を今まで以上に近くに感じ、ルードは目を開けた。

* * *

 大きさがとりどりの石を巧妙に重ね合わせて造られた城が――〈帳〉の館が眼前にあった。館は、まるで千年も前からその場所にあったかのようなたたずまいをみせていた。周囲を囲むのは緑。結界の中とはいえ、荒涼とした遙けき野にあるとは思えないほど、地面に潤いが感じられた。
 ルードは横を見る。ハーンとそう変わらない年かさに見える長身の若者が、ハーンと対峙するかのように立っていた。臙脂《えんじ》の服がやけに映えて見える。
(彼が……〈帳〉なのか……)
 ルードは〈帳〉の持つ雰囲気に、少々臆した。大賢人と称されるゆえの気品なのか。
 彼の顔はほっそりとしていて、ほりの深いものだった。切れ長の目と相まって、端正な顔は、町を歩けば必ずと言っていいほど振り向かれるほどの美しさと、神秘さ、そして翳《かげ》りを併せ持っていた。
 しかし瑠璃《るり》色の瞳には、若さの煌めきというものが全く感じられない。永い年月を生きてきたかのような哀しさと、悟りきった色をたたえている。また、黒い右目は光を失っているのか、動くことがない。まるで雪のような細く癖のない白髪はライカと同じように肩甲骨のあたりまで伸ばしていた。
 彼の両の目尻から頬に至るまでは、細いくちばし型の中で反復する、精細な幾何学模様の刺青も臙脂に彩られており、彼の風貌をより奇異に映しだしていた。

「ようこそ、〈帳〉の館へ」
 〈帳〉はルード達を一瞥し、落ち着き払った口調で言った。
 ハーンが手をさしのべ、握手を求めると、〈帳〉はそれに応え、かすかに笑った。
「さあ、入るがいい。私も野良仕事を終えて、畑から戻ろうとしていたのだ。そうしたら君達がいるのを知ってね。そうだ、結界の外にいる君達の馬も、後で呼び寄せよう」
 〈帳〉はそう言って、訪問者達を館に招き入れた。
「あ、それじゃあ失礼します」
 〈帳〉はその言葉を言ったライカをじっと見つめる。彼の緑の瞳がきらりと煌めく。

《フローミタ アー ラステーズ コムト、アルナース!》

「え?」
 〈帳〉の言った『言葉』にライカはびっくりしたようだった。彼女も答えた。

《……メクタ ラソ ディナークァー ダン アルナシオン メッサノ……》

 〈帳〉はそれを聞いて満足そうにうなずいた。
「なるほど、確かにわけありのお客様だ。これは重大だな。ニーヴルの時以来か。いや、外からの干渉という意味合いを考えれば、あの時の比ではないな」
「なぜ、わたし達の、アイバーフィンの言葉を知ってらっしゃるの? ……〈帳〉さん」
「外の世界からやって来た風の民の娘よ。エシアルルを存じているだろう?」
「は、はい。わたしのいたところでは“森の護り”といわれる長寿の種族です。“慧眼《けいがん》のディッセの野”と現世《うつしよ》とを行き交うことによって、不死に近い命を得ているとか。大賢人様はエシアルルでいらっしゃるのですか?」
「〈帳〉と呼んでくれていい。……さよう、私はエシアルルだ。いや、かつてはそうだったと言えるな。額に水晶こそあるものの、白髪のエシアルルなどいはしないだろう(エシアルルは皆、深緑の髪だからな)」
 ライカは、驚きと、喜びが入り交じったような複雑な表情をかいま見せた。
「じ、じゃあ、〈帳〉さんも、この世界に入り込んだんですか。わたしのように……」
「そうだな。……そう、入り込んだのだ。広い意味ではね」
 〈帳〉はライカの後ろにたたずんでいるルードを確認した。
「……そこの少年には我々のことが分かっていないようだな。無理もないか、歴史は全て隠されてきたのだから。ハーンよ、それを彼らに聞かせるためにここに招いたのか? かつて、私が君に教えたように」
 ハーンはうなずいた。
「ならば話さねばならないか、フェル・アルムとアリューザ・ガルドの関わりについて。そして我らが起こした罪について。……この“大賢人”がな!」
 最後はまるで自嘲するかのように言い捨てた。
「あなたのおっしゃるとおりです、〈帳〉。彼らにフェル・アルムの隠された真実を話してほしい、というのが、ここに来た理由です」ハーンが凛々《りり》しい口調で話した。
「それともう一つ。ここに来るまで、僕達はきわめて不思議な体験を重ねてきました。“ニーヴル”の時以上に奇妙な出来事をね。僕達のほうからはそのことについてお話しします。そして、この少年少女の不思議な出会いを契機に起こり始めたあらゆる“変化”について、助言をいただきたいのです。あなたがどう思われるのか、僕らがこれからどうすべきなのか――ことは十三年前以上の惨劇を生みかねませんから」
「君も相変わらず切れ者だな。とぼけた雰囲気から想像出来ないほどだよ、ハーン。確かにことは重大だ」
 〈帳〉は、ハーンに対するからかいと敬意の念を一緒くたにし、わずかに笑みをみせた。
「……さて、我が家に入りなさい。まずは汚れを落とし、寝てしまうのがよかろう。つもる話はその後だ」

 ルード達は〈帳〉に案内されて、それぞれの望む部屋に落ち着いた。〈帳〉の館は、彼ひとりが住むにはあまりにも広い。使われていない部屋も多くあったが、いくつかの部屋は客人用に家具が用意されていた。もっとも、それが使われたことなど無いのだが。
 部屋の両端からはがたがたと、何やら掃除をしているような音が聞こえる。三人は隣り合わせの部屋を選んだ。ルードも両隣がやっているように、部屋のほこりを払うことにした。
 それがひととおり終わると、ルードはベッドに横になった。毛布などは用意されていない。〈帳〉も客の来訪を考えていなかったからだ。〈帳〉は今、客人のもてなしに大わらわであった。湯を沸かし、食事の支度もしている。
 左の部屋から、タールの音色がこぼれてきた。しかしそれもじきに止み、静寂があたりを包んだ。窓から射し込む日の光は、ルードを眠りの世界に誘《いざな》うのに十分なほど心地よかった。彼はいつしか眠ってしまう。全てのわだかまりを忘れ、ルードは平穏な夢の世界へと赴くのだった。

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二.

 ルード、ライカ、そしてハーンが円卓を囲んで〈帳〉の話を聞くことになったのは、結局翌日の昼過ぎだった。
 今までたまった疲れのために皆見事に眠ってしまったようで、〈帳〉がもてなす予定だった夕食会はふいになってしまった。しかし〈帳〉も言及するつもりはなかった。旅人達の疲労と緊張がいかに大きいものか、理解していたからだ。
「気付いたら朝だったんだ」とは、ルードの弁だ。ライカは明け方前に起きたらしいが、ハーンはつい先ほどまで熟睡していた。ハーンは眠そうな顔をし、あくびを必死でこらえている。対照的にルードとライカは風呂に入り、晴れ晴れとした表情をしている。いや、“していた”というほうが適切かもしれない。なぜならいよいよ〈帳〉を中心に話し合いが行われようとしているために、二人は非常な緊張感を味わっているからだ。何が真実なのか、これから何が起こるのか――そして自分達の運命の行く先は――

「さてと」〈帳〉が話を切りだした。
「ではまず、君達がいかなる経験をしてきたのか、聞いてみたい。ハーンの言う、“奇妙な出来事”を。君は、ええ……」
「ライカです」
「俺は、ルードと言います」
「ではライカ。君がこの地、つまりフェル・アルムにどうやって来たのか、そしてルードからは、ライカと会った後どう行動してきたのかを聞かなくてはならない」
 〈帳〉は言った。

 ルード達は今までの数々の体験を包み隠さず〈帳〉に語った。さすがの〈帳〉も驚きを隠せない様子であったものの、それでも彼らの語ることにうなずきつつ、記録を取っていた。
 最初の遭遇と転移、高原へ戻る途中の化け物との戦い、眠りから起こされた言語“アズニール”、動き出した中枢と、疾風との死闘、そして剣を握ったルードの変調――。全ての出来事が語られるのに、一刻半ほど要したろうか。日はすでに傾きかけ、色を橙に変えようとしていた。
 ライカは、アリューザ・ガルドにおける自らの生い立ちからはじまり、精霊に惑わされてレテス谷から落下するに至るまでを話した。
 ハーンはニーヴルの事件の後、〈帳〉に世話になり、別れた後のことから、ガザ・ルイアートを手に入れた経緯、そして千年祭の日にルードと会うまでかいつまんで話しだし、ガザ・ルイアートのことも、そして唯一彼のみ見た“星なき暗黒”についても明らかにした。
 ルードも、自分の身に起きた出来事について自分なりの意見を交えて、途中つかえながらも話すことが出来た、そのつもりだった。彼には未だ一つの記憶が戻っていなかったのだ。イャオエコの図書館と、神秘的な女性の存在について、ルードは全く失念していたのだ。

「そうか……」
 筆を置いた〈帳〉は、やや疲れた口調で答えた。
「君達が遭遇した出来事について、私は驚くしかないが……それについては最後に話すとしよう。次は私が、この世界について、語ろうと思う。が……」
 そう言って皆を見回す。疲れているさまが一目で分かる。ルードが大きく口を開けて生あくびをするのを見たライカは、肘でこづいてたしなめた。その様子をハーンはにやついて見ている。
「少々休憩をとるとするか。皆疲れたようだし、かくいう私もそうだ。聞くだけでも体力を使ったよ、今日は」
 ライカが厨房に入り、手際よくお茶が運ばれてきた。一同は緊張からしばし解かれ、香りのいいお茶を口に運んだ。
「これは賑やかになりそうだ。……なあハーンよ」
 和やかとなった雰囲気の中、〈帳〉が言う。
「我々がこれからどうするにせよ、時の利を得ないことには動きようがないのだ。もとから私のもとに滞在するつもりで来たのだろう?」
「ええ、そうですね。ルードに剣の扱いを教えるつもりでもありましたし、あなたもこの二人に伝えておくことが多そうですからねぇ。それに中枢の目をやり過ごすためにも、ひと月ぐらいはお世話になろうかと思うんですよ」
「ひと月だって?!」
 まさかルードは、そんなに長くとどまろうとは思っていなかった。〈帳〉の館で世話になることはハーンから聞いてはいたのだが、それも一週間ばかりかと思っていたのだ。
「叔父さん達、心配しないかな。半ば家出も同然で飛び出してきたんだぜ?」
「ああ、それならまかせてよ。僕が頃合いを見て高原に行って来るから」ハーンが言った。
「とにかく」と〈帳〉。「我が家は自給自足が出来る。館の主としては君達のお世話をしたいところなのだが、それは勘弁してもらって――君達の手を借りたいのだが、いいかな?」
 一同はうなずく。家事を分担して行うということだ。
「ならば申しわけないが、すぐ行動を起こしてもらいたい。気がつけば、もう一刻もすれば夕方になってしまうところではないか。ルードは馬舎へ、ライカは鶏小屋へ行って餌付けをしてほしい。どちらも館をぐるっと回った裏手にある。ハーンは穀物倉へ行ってくれ。……出来るかな?」
「まかせてくださいよ。馬の世話だったら俺、手慣れたもんですから」
 ルードは一番に部屋を出ていった。
「あ……ルード! 餌付けってどうすればいいの?」
 ライカもあとに続く。
「なんだ、しようがないな。教えてやるからついてきなよ」
「あれ? どっちに行くの? 玄関はこっちよ?」
「部屋だよ。作業がしやすい格好にならないと……なんにも知らないんだなぁ」
「何よ、その言い方? 馬鹿にしてるの?」
 そんな悪態をつきあいながら彼らの声は遠ざかっていった。

 〈帳〉とハーンは後に残された。
「どうです? 彼らは?」
 自分も行動に移ろうとハーンは立ち上がった。
「……酷なものだな。彼らには何も知らず平和に生活を送ってもらいたかったものだが。事実をかいま見てしまった今、彼らの幸福は濁流の向こう側にしかないのだ」
 〈帳〉は目を伏せた。
「……だが、彼らの純真さは、私の塞ぎの虫を追い出し、罪の意識を一瞬でも消し去ってくれるものかもしれぬ」
 そう言って〈帳〉はハーンと顔を合わせた。ハーンはしばし、〈帳〉の瞳に悲しみを見たが、「〈帳〉、あなたも考え過ぎですよ」と切り返した。
「しかし、かの聖剣がまことに存在していたとは信じがたい。だが、ルードは所持を認められることによって、古《いにしえ》の土の民、セルアンディルの力を手にしたのだから、あの剣こそ冥王討伐以降、失われて久しい聖剣だと考えるほか無い」
「……そうですね」
「しかしハーンよ。君はどうしてあの剣がガザ・ルイアートだと知ったのだ? いや、そもそも何ゆえ聖剣の存在を知ったのだ? 聖剣について、私は君には教えていないはずだ」
 ハーンは答えなかった。
「答えたくなければ別にいいのだが……まあいい。さて、私も食事の準備をしよう」
「じゃあ僕も失礼して、夕食の支度に取りかかるとしますか! 昨晩はもてなしを受けられませんでしたからねぇ!」
 ハーンは言い残し、颯爽《さっそう》と部屋を出ていった。

 ひとり残された〈帳〉はひとりごちる。
「ガザ・ルイアート。あれが我らの運命を切り開いてくれるのか。“太古の力”とすら渡り合えるかも知れぬ……」

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三.

 少々早めの夕食には昨晩〈帳〉がもてなし損ねたものに加え、ライカもまた腕を振るった。その間、ただ待つだけとなってしまったルードは部屋で安穏と寝ていたが、ハーンの告げ口でライカによってたたき起こされる結果となり、あわれ井戸までの水くみや、そのほか雑務全てをハーンの代わりにこなすことになってしまった。
 そんなハーンはひとり、食堂にてタールを弾いていた。ルードがそんなハーンに悪態をつき、ハーンは素知らぬ顔でやり過ごす。それを厨房で聞きながら、ライカと〈帳〉は笑っていた。
 食事が終わる頃には日もすっかり沈み、多少薄暗くなった部屋に明かりがともされた。
 いよいよ話し合いのはじまりだ。

「では話すとするか」
 〈帳〉は切り出した。三人は〈帳〉のほうへと向き直る。とくにルードとライカは、いかな事実があろうとも、おののくことなどしない、という強い姿勢で臨んでおり、それぞれの瞳には真摯な光が宿っていた。
 〈帳〉は一同を見渡すと咳払いを一つ、そして静かに語り始めた。
「まず、はっきりとさせておかねばならないのは、フェル・アルムという世界――“永遠の千年”とも称されるこの閉鎖された世界は、もともとはアリューザ・ガルドに存在した、ということだ」
 〈帳〉の言葉に、ルードとライカは思わず顔を見合わせる。
「信じがたいかもしれぬが……これは紛れもない事実なのだ」
 そんな二人を一瞥し、〈帳〉は話を続けた。

「六百年も昔のことだ。私はアリューザ・ガルドで生活を送っていた。その頃、アリューザ・ガルドはひとつの国によって統一されていた。その王国をアズニールという。王国では魔導の研究が盛んに進められていたのだ」
「あの、話の途中で悪いんですけど」ルードが口を挟んだ。
「“まどう”っていうのは何なんですか?」
「魔導とは、……そうだな。簡単に言い切ってしまえば、ハーンが持つような“術”をさらに発展させ、強力にしたものだ。発動させるためには、膨大な魔力と数多くの知識、それに世界の理《ことわり》を知らねばならぬのだが、ここでは言及しないことにしよう。本筋からは逸れてしまうからな」
 〈帳〉は言った。
「魔導……そう。その力をさらに強力にすべく、私を含む当時の魔導師達は研究を重ねていったものだ」
「でもルード。今のアリューザ・ガルドには、もう魔導は無いのよ。恐ろしい、“力”の暴走があって、魔導は封印されたっておじいさまから聞いたことがあるわ」
 ライカが言った。
「そんな大事件があったなんて……どういう世界なんだ、アリューザ・ガルドっていうのは?」とルード。
「なに、フェル・アルムと大差ない世界だ。ただ、フェル・アルムの民にとっては摩訶不思議に感じられることが多々あるだろうがな」
 〈帳〉が言った。
「話を続けさせてもらってよろしいかな?」
「あっ……すいません、勝手にべらべらとしゃべっちゃって」
 ルードとライカはあたふたと頭を下げた。
 しかし、〈帳〉にしてみれば、そんな動作すら微笑ましく思えたのだ。〈帳〉は口元で微かに笑うと、話を続けた。

「魔導師達はいつしか魔法の本質を忘れ、魔力の増幅に力を注ぎ込みはじめた。やがて膨れあがった強大な“力”は魔導師の手では制御しきれなくなった。膨大な魔力が堰《せき》を切ったように氾濫を起こしたのだ。恐るべき“魔導の暴走”――あれはアズニール歴四二五年のことだったか……」
 帳はそう言って立ち上がると、部屋の中をゆっくりと歩きながら言葉を紡いだ。
「私は暴走する魔力を止めようと、師であり友人でもあるユクツェルノイレとともに対策を講じることにした。私達はアズニール王宮の預幻師、クシュンラーナを迎え入れた。だが彼女の幻視をもってしても解決の糸口は見あたらず、我々は絶望の淵に立たされた。あまたの魔導師達もなすすべがなく、そうこうしている間に暴走したかたち無き“力”は世界中に波及し、各地に壊滅的な打撃を与えたのだ。
「だが、思いもしないところから救いの手が伸ばされた。状況に憂えたディトゥアの神、“宵闇の公子”レオズスが暴走せし魔力を消滅させたのだ。もっとも我々は当初、魔力が自然消滅したのだと考えており、レオズスの介入を知ったのはもう少し後なのだが」
「神だって!?」
 ルードが素っ頓狂な声をあげたので、一同は彼を注視した。
「あ、いや……ごめんなさい、何度も……」
 またも話を中断させてしまったルードは、三人の視線に萎縮するほか無かった。
「ルードよ。君が唸るのも理解出来る。が、事実として捉えて欲しい。本論はむしろ、ここから始まるのだからな」
 一息入れて〈帳〉は再び語りはじめた。

「かくてレオズスは、彼が遙か昔、冥王ザビュール降臨時に為したことに続き、再びアリューザ・ガルドを救った。だが強大な魔力に対してはレオズスをしても太刀打ち出来るものではなかった。苦肉の策としてレオズスが用いた“力”は――“太古の大いなる力”、禍々しい“混沌”の力だった!
「そして、レオズス自身が望んだのか、それとも“混沌”がそうさせたのか……“混沌”に魅せられたレオズスは、人間にとって恐怖と化したのだ。皮肉なことに、強大な“力”を消滅せしえたのは、さらに強大な“力”であった。我々人間は、レオズスに隷従することを余儀なくされてしまったのだ。さながら冥王降臨の暗黒時代のごとくに……。
「私は奴隷戦士として地下で名を馳せていた、デルネアという人物を知った。彼は魔導の力こそ持たないものの、たいそうな切れ者で、我ら三人に策をもたらした。『かたちを持たない魔導の暴走より、現在世界を覆っている“混沌”のほうが、崩すに易い』と彼は言うのだ。元凶であるレオズスさえ倒してしまえば、彼の用いる“混沌”はその帰すべきところに戻る、ということなのだ。
「とはいえ、人間が神を倒すなど果たして出来ようか? ユクツェルノイレと私は、宵闇の公子を倒すすべを探すため、文献をあさった。“聖剣ガザ・ルイアート”。文献にあったのはこの著名な剣のみであった。かの剣は黒き神――冥王ザビュールを倒した剣として知られているが、冥王が倒された後、その所在は全く知れない。
「我ら四人は途方に暮れた。人はレオズスに屈するほかないのか? だがある日、クシュンラーナの夢による幻視によって、一つの剣の所在が明らかになった。その剣はアリューザ・ガルドには存在せず、“閉塞されし澱《よど》み”という閉じた次元にあることが分かった。ユクツェルノイレとデルネアが、そのあてどない旅に、絶望へと向かう旅に赴いていった。彼らにとってみればまさに決死であったが、剣を入手することこそ、我々がレオズスを倒す唯一の手段だったのだ。
「三年後、デルネアは剣を手に帰還した。しかし、ユクツェルノイレは帰ってこなかった。『“力”に魅入られた』と、デルネアはそれだけ語った。それから我ら三人は、ついにレオズスと対峙したのだ。彼の発する“混沌”の気は、常人にはとても耐えられないものだった。しかし、“名もなき剣”は、かの聖剣に勝るとも劣らない“力”を発揮し、ついに我々はレオズスを――“混沌”の元凶たる神を倒したのだ。

「こうして、忌々しき“力”は消え去り、アリューザ・ガルドから脅威はなくなった。だが、長年の隷従によってアズニール王朝は弱体化し、ついには崩壊してしまうのだった。アズニールが崩壊したことで、各地の諸候はお互いを牽制しつつ、新たな国を興した。だが、やがてそれは戦争という新たな悲劇を生み、“混沌”の脅威の爪痕が未だ残る中で、数多くの命が失われていった。それを見て、私はさらなる悲しみに包まれた。
「そんな折り、デルネアが驚くべきことを私に告げた。たった一つの王国を創り出そう、とな。私はアリューザ・ガルドという広大な土地を、一国が統べることの恐ろしさを十分知っていたから反対した。そうするとデルネアはこう言ったのだ。『ならば、我らの手のみで完璧に制御出来る、小さな世界を創ってしまえばよいのだ。我らを統括する神も、生活を脅かす異形の生物も、魔導すらも存在しない一つの世界を創り、その変化のない永遠の平穏の中で人が営む――これこそが理想郷だ』とな。“閉塞されし澱み”で、デルネアは大地を切り離すすべを知ったらしい。『多大な悲劇を、痛みを知っている我々だからこそ、そんな世界が創れるのだ』デルネアはそうも語った。
「私も、クシュンラーナも、もはやこれ以上の悲劇は見たくはなかった。私達は、デルネアの言う理想郷に全てを賭けてみることにした。ある空間をアリューザ・ガルドから隔離し、閉じた世界を作り上げて統治する、ということ。それが、アリューザ・ガルドの現状から逃避する、ということを意味するのも知りつつ」
 〈帳〉はそこまで語ると、再び自分の席に腰掛け、大きく息を吐いた。
「はあ……」

 〈帳〉の、そしてルードとライカのため息が、薄暗い部屋にやけに大きく聞こえるようだった。うつむいている三人を後目に、ハーンはぱちり、と指を鳴らし、術による光球を天井に掲げた。暗くなった室内にぼうっと明かりがともる。
「そうすると、このフェル・アルムを創ったのは……あなた達だっていうんですか?」
 最初に顔をおこしたルードは、どう反応していいのか分からない、と言ったふうに戸惑いながらも〈帳〉に訊いた。
「左様。歴史に謳《うた》われているように、“神君”ユクツェルノイレが生み出した王国ではないのだよ。あれは我々……いやデルネアが、統治する際に作りだした幻想でしかない。友人に敬意を表してな」
「え?! じゃあ、嘘なんですか!?」
「そう、嘘だ」
 間髪入れずに〈帳〉が答えた。
「覚えておくがいい。フェル・アルムには“真実”と呼ばれる“嘘”がそこいら中に転がっていることを。唯一の神、大地神クォリューエルは存在しない。アリューザ・ガルドから隔離させ、新天地フェル・アルムを創り出したのは、神君ではない。我ら三人だった……」
 〈帳〉はひとり目を細め、天井に浮かぶ光球をしばし見つめた。その瞳は哀しげであると同時に厳しく、自分の過去を咎《とが》めているようにすら思えた。

「西方大陸《エヴェルク》の最西端――そこは“魔導の暴走”と戦乱のため、難民が多数住み着いた広大な大地だ。我々は、理想郷を築く地をここに決めた。デルネアは自分達の計画を難民に伝えた。難民達も救いを求めて、我らの行いに賛同した。
「それから数年が経過し、我々の理想郷――“永遠の千年《フェル・アルム》”世界の構築の準備も整い、いよいよ実行に移す時がきた。これまでにない大がかりな術の儀式が執り行われる。術が完成したその時こそ、フェル・アルムは新たな一つの世界として存在するようになるのだ。幾人かの魔導師達が、野外に設置された魔法陣を取り囲み、その中心に私とクシュンラーナが座し、儀式は始まった」
 そこまで言った時、帳は顔をしかめ、少々のためらいをみせた後に言葉を続けた。
「……私とクシュンラーナは、苦しみをともに味わううちに、いつしか惹かれあい、愛し合うようになっていた。フェル・アルムが創造されたその時は、権限をデルネアに任せ、私達は夫婦となって慎ましやかに暮らしていこう、と誓い合っていたのだ。……しかし――。
「しかし、私達のその夢はフェル・アルム創造の瞬間に、残酷にも消え去ってしまった。儀式が完成し、私が呪紋を空に描き終わった時。ついに空間が隔離し、転移の術は発動したのだ。だがそれと同時に、予期せぬ強大な反動力が働いた。かたちを持たぬ“力”が我々に襲いかかり、幾多の者が衝撃のため吹き飛ばされて空間の狭間の餌食になり、“力”に直撃された者は跡形もなく消え失せてしまった。……そしてクシュンラーナも同様……。術の行使に力を使い果たした私にはなすすべなく、目の前の悲劇を見続けるほか無かった。それはかつての悲劇――魔導の暴走を思い起こさずに入られないものであった。
「かくして多くの犠牲のもと『理想郷』フェル・アルムは完成した。だが、愛するクシュンラーナを失った私にとって、もはや理想郷などなんの意味も持たなかった。私は彼女を失った悲しみにくれるあまり、何も考えられなかった。全ては絶望のみ」
 〈帳〉は、一同を見渡す。〈帳〉の背負う、あまりにも大きな過去の悲劇。ルードとライカには、語る言葉がなかった。
「幾日かが経って、私は自分の身体に起きた変化に気付いた。失ったものは片目の視力と、それまでの私を魔導師たらしめていた膨大な魔力。得たものは……けして老いることのない身体。創造者として、術の発動者として、この身体が朽ちるまで永久に世界を見続けること。それが今なお私の使命であり、与えられた罰なのだ。
「次に私は、人々の変容に気付いた。何万に及ぶ民全てが、それまでの彼らではなかったのだ。地べたに力無く座り込み、だらしなく口を開け、時折うめき声を上げている。天を仰ぐその目は虚ろでなんの感情も表さない。なんと恐ろしいことだろう! 異様な光景を目の当たりにした私は、自分の為したことの恐ろしさをひしひしと感じたのだ。だが、魔力を失った私には、彼らに対してなすすべがなかった。私は彼らのもとから逃げ出した。
「それからどれくらいの時が経ったのか、私には見当がつかない。狂人と紙一重となった私は、薄汚れた古城の前にたたずんでいるのに気付いた。私はこの場所を安住の地とし、疲れ果てた心身を癒すこととした。広野の中に人知れず在る古城――それこそがここ、〈帳〉の館なのだ。

「さて……話が長くなってすまないと思っている。これまでの話は、過去の歴史の説明に過ぎぬ――真実の姿ではあるがな。だが、ここからが重要なのだ。空虚な世界がどう変容したか、そして……今後、私達がどうすべきか」
 〈帳〉は言葉を切った。
「なんか……話が大き過ぎて……はっきりとつかめないんですけど……今までのだって……」
 ルードが困惑気味に言った。
「なに、今ここで全てを理解するのは無理だろう。だが、我々には時間がある。〈帳〉の館の中で、ゆっくりと分かっていけばそれでいいと思う。自らの中で反芻《はんすう》しつつ思慮を深めていけば、あとは時を経るにしたがって分かってくるだろう」
「そうそう、今無理に詰め込むことはないって。僕は歴史の流れをつかんでいるからさ、分かんなけりゃ答えてあげるよ」
 〈帳〉の言葉を受け、ハーンが朗らかに言った。

「さて――」
 〈帳〉は話を再開した。
「古城の中で長い年月を重ね、私は自分自身を取り戻しつつあった。私はとりあえず、この城を変えていった。ひとりで十分生きていけるように。中では掃除をし、埃を払った。外では種を植え、農作物や草木を育てていった。そして、外界から自分の小さな世界を守るよう、結界を施した。
「次に、自分のいるところ以外の場所に興味が湧いてきた。私が逃げ出してから世界は、人々はどうなったのか。すでに現実を見つめる覚悟は出来ていた。私は忌まわしい儀式の行われたあの場所に赴いていった。そして目を疑ったのだ!
「あの虚ろな目をした人々はどこへ行ってしまったのか? 集落が点在し、人々の喧騒が聞こえてくるではないか。彼らは惨劇を何もかも忘れていた。それどころかアリューザ・ガルドの存在すら覚えていないのだ。むろん、私のことなど覚えているはずもない。人々の無垢な瞳の輝きに、私は喜んでいいのか悲しむべきなのか、途方に暮れた。
「私は一人の人間の存在を思い出した。デルネアだ。彼なら何かを知っているに違いない。私はデルネアの行方を追った。彼の名前もまた、人々の記憶からは消え去っていたため、捜索は困難をきわめた。幾星霜、ようやく彼の所在が判明した。
「その地、アヴィザノにはすでに城が建設されつつあった。警備の目をかいくぐって、私はデルネアと対峙した。デルネアもまた、私と同じく不老の身体となっていた。しかし、私と決定的に異なるのは、彼は強大な“力”をその身体に有している、ということ。彼の持つ威圧感に、私は恐怖した。
「デルネアは語った。『これこそが我の望んだ世界。すでに人々はアリューザ・ガルドの存在すら覚えていない。この閉ざされた世界において初めて、我らの民は永久の安らぎを得るのだ』と。虚ろな人々に虚偽の知識を吹き込んだのは紛れも無い、デルネアその人だった。彼はこうも言った。『〈帳〉――お前はもはや傍観者であり、この世界の慎ましやかな住人でしかない。が、我は神にすら相当するのだぞ』と。フェル・アルムの人々はデルネアの存在すら知るまいが、彼が世界に与えた影響というものはまさしく神のそれに匹敵する。力を失った私に彼を止めるすべはなかった。
「私はそれからこの館に帰り、永遠にも感じられるほどの年月をひとり送った。デルネアはその間も、影でフェル・アルムを、中枢を操り、捏造《ねつぞう》された“真実”を広めていった。世界は彼の定めた予定どおり、今まではほぼ治まっていたのだ」
 〈帳〉はほうっと息をついた。
「……そして今、ついに虚構の調和が乱れようとしている」
「それは、ライカがこの世界にやってきたこと、ですよね?」
 ルードが言った。
「しかり。空間を閉ざしたこの世界に、アリューザ・ガルドからの者が来るなど、およそ考えられるものではなかったからな。デルネアはその動向を即座に感じ取ったのだろう。デルネアは中枢を操り、今頃は元凶となっている者を消そうと躍起になっているだろう」
「でも、私もルードも何も悪いことなんかしてない。被害者としか言いようがないんですよ?」ライカが憮然《ぶぜん》と言う。
「君達がこの巨大な運命とやらに巻き込まれた被害者であることは認めよう。だが、問題はそうたやすくはないのだ。……世界が崩壊しつつある、と言って理解してくれるだろうか?」

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四.

「世界が……ですか」
 ルードとライカは怪訝そうに帳の言葉を反復した。
「まさか。そんなに大きなことなんですか?」
 ルードはそう言って〈帳〉を見た。当の〈帳〉はまたも遠い目をして天井を仰いでいた。
「なぜなら、君達はあるはずのない“変化”を、この世界にもたらしたからだ。フェル・アルムは、変化というものがない。――いや、許されないのだ。何も変わらない情勢の連続こそが、デルネアの言うところの恒久の平和なのだから。だが、人あるところに必ず変化が生じる。変化が起きれば必ずどこかがほころぶのだ。私は長いことそれを危惧していた」
 〈帳〉はそう言うと、一同を見渡した。
「分かるだろうか。予期せぬ変化がこのまま続けば、フェル・アルムを覆う結界が崩れ去り……人の世界に本来あってはならない、強大な“太古の力”を招き寄せかねない。それを呼び寄せてしまったら、フェル・アルムのみならず、存在する世界全ての終末を呼ぶことになるやもしれぬ」
 それを聞いたルードは、自分の背筋にぞくりと冷たいものが走るのが分かった。羊飼いとして暮らしてきた今までの自分が、今では遠いところに行ってしまったのを感じていた。世界の終焉など、彼が、そしてライカが考えつくはずもなかった。彼らはただ、平穏な日常に戻ることを切望している。だが、今や彼らにとって平凡な日常は、とてつもなく大きな壁の向こう側にしか存在しないのだ。
「――いずれにせよ」
 光を持たない〈帳〉の右目が、皆を見据える。
「君達の話から察するに、ライカがこの世界に来てしまったという“偶発事”。それはこの世界が本来あるべき姿に戻ろうとして起きたことなのかもしれない。それに伴い、閉ざされたフェル・アルム世界の封印が開きつつあるのだ。しかし封印の解除は、空間の歪みを誘発させている。これは魔物の出没や、星無き暗黒の夜空の出現からも明らかだ。このまま手をこまぬいていれば、世界の秩序は本当に遠からず失われてしまうだろう。――今、我々が選べる未来は三つある」
 〈帳〉は言った。
「一つ目は、この館で何もせず時を過ごし、秩序の崩壊と世界の終焉を見届けること」
〈帳〉は二人の少年少女を見た。ルードもライカも、魅せられたように〈帳〉を見ている。
「二人とも、どう思うかな? このままここに留まるか?」
「……それって解決になってないな、って思ったんですけど」
 ルードが口を開く。
「だってそうでしょう? 俺達はここにいれば安全かもしれない。でも、今の状態を続けていたら世界が崩壊するっていうのなら、意味がないですよ、そんなの」
「うむ。ライカはどうかな?」
「私はともかく、家に帰りたいんです。あの山間の村に……」
「だろうな。ハーンは?」と言って〈帳〉はハーンを見るが、彼はただ首を横に振るだけだった。
「まあ、ハーンにはあらためて訊くまでもないか。では二つ目の未来を話そう。これは現在デルネアが行っていることだ。つまり、事件の根本たる君らの存在を消し去り、変化そのものを遮断し、一連の事件が存在しなかったようにすること。……これについてはどう思うかな、愚問とは思うが」
「……俺達は危険を避けるためにあなたのところに来たんだ。俺達は死ぬわけにはいかない」
 と、ルードが即答した。ハーンもうんうんと相づちを打つ。
「……〈帳〉さん。三つの未来を選べると言ってましたけど、あなた自身は決めてるんでしょう? ライカも俺も不安なんです。どうすればいいのか、教えてください!」
 ルードは〈帳〉の答えを待った。
「そのとおり。選択肢は三つあれど、実際のところ我らが選べるのは最後の一つしかない。……その道のりは険しく、成就するとは言い切れないものだが、私達が求める未来はそこにしかないのだ」
 〈帳〉はそう言うと、彼を見つめる三者をじっと見つめた。

「フェル・アルムを、その全てを、アリューザ・ガルドに還元させる。それしかすべはない」
「はあ……」
 驚嘆をもらしたのは、意外にもハーンだった。
「還元、ですか。いや、僕も初めてそんなこと聞いたんで、驚いちゃいましたよ。この世界を、もとあるところに戻すってことですね? そんなの出来るものなんですか?」
 ハーンが訊いた。
「私は方法が分からない。残念ながら」
 〈帳〉がかぶりを振る。
「じゃあ、デルネアですか? 彼じゃないと分からない、と」
 ハーンが言った。
「これは例えだが、魔導師が魔導を行使する際、それと相反する魔導をも知る必要がある。我らが行使した世界創造のすべは魔導に近しいが、全てを知っていたのはデルネアのみ。だから還元するすべも、彼しか知らない。ルード達への監視がゆるんだ頃合いを見計らって、デルネアと再び会わねばなるまい。それが私達の進むべき道だ」
「デルネアは、どこにいるんですか?」ルードが訊いた。
「彼の居場所は二つある。一つは帝都アヴィザノ。中枢の王宮内に、一握りの人間しか知らない場所がある。“天球の宮”と称されるその部屋の中で、デルネアは中枢を影で操っている。もう一つは、フェル・アルム最南端に広がるトゥールマキオの森。彼は、千年の齢を数える大樹の中を憩いの場とし、しばしばそこに赴き、力を蓄えるのだ」
「わたし達、どっちに行けばいいのかしら?」とライカ。
「おそらく帝都アヴィザノであろう。だが常に周囲の様子に注意せねばならぬ。かの地における彼の力は強大な上、王宮の警備とて侮れるものではない。現に、今まで私はアヴィザノで彼と対面するのは避けている……というより会うことが叶わぬのだ。……が、今回ばかりはそう言ってもおれまい」
「ということはアヴィザノへ行く、と……。でもかなり遠いですよね。俺はフェル・アルム南部の都市群のほうなんか、行ったことがないんですよ」ルードが言った。
「確かにな。帝都に着くまでも大変だ。監視がゆるんだころを見計らう、といっても、何らかの危険が伴う可能性は大だ。加えて一週間以上にわたる長旅によって、心身ともに相当きついものになることは見えている。だが、彼と対峙することに比べれば大したことはない。彼自身の“力”は畏怖に値するものであるから、心せねばなるまい。人間離れした強さに加え、人の心をいとも簡単に捕まえる力を持っている。私とて、用心をせねば、彼の力に取り込まれ、デルネアの虜になりかねないのだ」
「でも……」
 ライカが言う。
「やるしかないわ。それがうまくいかなきゃわたし達、どうにもならないじゃない?」
「うん。俺達がやれるだけのことはやって、みんな一緒にもとの世界に還るんだ!」とルード。
 〈帳〉はほくそ笑む。

「そのとおり。このいびつに形成された閉塞空間は、もう限界が来ている、ということだ。私達はフェル・アルムの土地を、この世界の人々の営みを、もとあった大地に戻さねばならない。大いなる災いの起こる前に――」

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