『フェル・アルム刻記』 第二部 “濁流”

§ 第十章 終焉の時、来たりて

三. 窮地を脱して

「閣下!」
 烈火達の動向がルイエの言葉によって一変し、事態が好転しつつあることを悟ったメナードは、後ろを振り返った。ディエルとともに後方の魔物と戦っていた戦士のうち数名とスティンの村人達、それと伯爵の部下達が走ってきたのだ。
「ディエル兄ちゃん!」
 ジルは大手を振って迎える。
「おう。オレ達のほうは片づけといたぜ!」
 ディエルは弟のもとに走り寄りつつ声をあげた。
「化け物どもはどうしたのだ? 皆は無事なのか?」
 メナードの問いに答えるべく、部下のうちのひとりはひざまずくと、荒い呼吸をおさえつつ、一礼をして語り始めた。
「閣下。出現した化け物全てを討ち取りました。幸いにも――」
「伯爵さん。多分、あの場所から魔物が現れることはないと思う」
 ディエルは、息を切らした部下の言葉を遮るように言った。
「怪我した人は結構いるみたいだけどな。……とは言っても軽い怪我だしさ、みんな大丈夫だと言えるよな」
「兄ちゃんは? 大丈夫だったのかい」
「はっ……」
 ディエルはにやりと笑うと、さも嬉しそうに手でジルの頭をかき回す。
「オレがあんな魔物にやられると思ったのかよ? あんな連中だったら、片手でちょいっ! てもんさ」
「いててて……可愛い弟が兄の身を心配してやってるんだぞぉ! も少しいたわるとかいう気持ちはないの?」
 ジルは頭を押さえ、兄の攻撃をかいくぐりながら言った。
 じゃれ合う双子の使徒達を見ながら、メナード伯は満足そうにうなずいた。
「……みんな、よくやってくれた。どうやら、わしらの前に希望の一筋が現れたようだぞ。見てみろ」
 彼は前方を見るようにと一同を促した。

「おお!」
 旅商のシャンピオが感嘆を漏らした。北方の民をニーヴルの残党であると見なし、丸腰の民を無惨に蹴散らさんとしていた烈火の軍隊は、今や壁のごとくただ居並ぶのみ。しかもその壁は、街道を塞ぐのではなく、二手に分かれている。ついにサラムレへ伸びるルシェン街道は開かれたのだ。
「……ルードのやつ、いっちょう前にやるじゃあねえか」
 シャンピオは、弟のように可愛がってきた少年のことを思い、満足げにほくそ笑んだ。
「あれはサイファ姉ちゃんのおかげだってば!」
 ジルが不満げに声を漏らした。
「うむ」
 メナード伯がうなずく。
「陛下のご英断無くば、わしらは中枢の騎士達によって蹂躙されていたことだろう。だがついに、わしらはこの忌まわしい空から抜け出せる。陛下のおかげだ。まこと、ありがたいことだ……」
 メナード伯は片膝を落とし、臣下の礼を取った。当のドゥ・ルイエとはいささか距離が離れ過ぎてはいるが、感謝の気持ちをすぐにでも表したかったのだ。

「閣下、ご覧下さいまし」
 側近のひとりが呼びかけた。
「陛下がお手を振ってらっしゃいます」
「陛下って……? え? どういうこと?」
 シャンピオは要領を得ない様子で、メナードの顔を窺った。
 メナードはシャンピオの顔をちらと見上げた。
「まあ、じきに分かることだろうから言ってしまうがな。サイファ殿こそがドゥ・ルイエ皇にほかならないのだ」
 戦士や村人達がざわめくのを、伯爵はにやりと笑ってやり過ごす。
「よし! お前達はわしに続け。陛下のもとでご指示を仰ぐこととしよう」
 メナードはすっくと立ち上がると、ルイエのもとへ参じるべく、その老体に似合わず足を早めた。
「お前達、何をしている! 早く来るのだ!」
 叱責を浴びた側近達は伯爵に続き、足早に前方へ向かった。
「伯爵さん! 俺達はどうしたもんかね? こんな不気味な空とは早くおさらばしたいんだけれどさ」
 シャンピオはたまらず、伯爵に呼びかけた。後ろに控えている避難民達がざわめきたち、今にも駆け出さんとしているのを感じ取っていたのだ。もし彼らのうちのひとりでもしびれを切らして飛び出してしまえば、その周りの者もすぐさま同様の行動をとるだろう。そしてそのまた周りの者も――というように波及していくのは明らかだ。このままではせっかく事なきを得ようとしているのに、それすら収拾がつかなくなってしまう。
「この異常な状態の中で待機している皆の気持ちはわしも痛いほどよう分かる。だがもうしばしだ。じきに皆でこの地を離れられるだろう!」
 振り返るとメナードはそう答えて、再び足を早めた。

「頼みますよ!」
 シャンピオはそう言うと、ほうっと息をついた。
「しかしサイファさんがねえ……これにはまいったわ」
 彼は手を額に当てて、大げさに驚いてみせた。
「さあて、とりあえずは一難去った、てなところかね!」
 戦いで萎縮した筋肉をほぐそうとしているディエルが、大きく伸びをしつつ言った。
「だけどさ、これからが難しいところだよね?」
 ジルの言葉にディエルがうなずく。
「そうさ。“混沌”が少しずつこっちに来ているっての、オレには分かるからな。なんとかくい止める方法を考えないと、本当に終わりの時が来てしまうぜ……あれ?」
 その時ディエルは、何かを感じ取ったのか、怪訝そうに周囲をきょろきょろと見渡しはじめた。
「それもあるけどさ、その前にデルネアだよ!」
 兄の動作を気にせず、ジルは言った。
「デルネアってやつは簡単に屈するようなやつじゃないだろうからさ。これからは、聖剣を持ってるルードがどうするか、それにかかってるんだ……うん? 兄ちゃん、何してるのさ?」
 ディエルは精神を集中するために目を閉じている。なんらかの力の所在を察知するために、常人には聴き取れない“音”を発しつつ自らの魔力を解放していく。
「……ここじゃないけど……魔物の気配を感じる! じきに魔物がわんさと出てくるぞ。それも、かなりの数らしいな」
 “混沌”が近づいてるだけのことはある、とディエルは苦笑いを浮かべた。

「えっ?!」
 ディエルの言葉に、その場に居合わせた人々はざわめいた。
「坊や、本当かい?」
「“坊や”っていうのはやめてくれってば! オレはディエルっていうんだ。大体こう見えたって、あんたより千年以上は長く生きてるんだぜ?」
 ディエルは、そう言った戦士に対して口をとがらせた。
「……悪かったって。ほら、あんたも謝りなよ」
 シャンピオは戦士に謝らせると、言葉を続けた。
「で、ディエル。化け物がまた出てくるっていうのは、本当なのかい?」
「そうだよ。オレ達がさっき戦った奴らよりも、もう少し手応えのある連中みたいだ。人間の手で倒せるだろうけど、この数じゃあ全然戦力にならないな」
「どれくらいの数が来るってんだ?」別の傭兵が訊いた。
「さっきのだってせいぜい三十体ってとこだろう? 今度はあれよりも強いやつらが、少なくっても百体や二百体……それくらい出てくるんじゃないかな?」
 とディエル。
 一同は黙した。先ほどの戦いでもそうとう苦戦を強いられていたというのに、それを凌ぐ化け物相手では、とても歯が立たない。
 ディエルは前方の赤い〈壁〉をちらりと見た。
「そう……あれだ。あれに動いてもらわないと、とてもじゃないけど駄目なんじゃないかな?」
「そうか、烈火か! たしかに、あの精鋭達だったら何とかなるかもしれないな! ……だけれども、あれを動かすのは、サイファさんじゃあないと出来ないんだろう?」
 シャンピオが唸った。
「じゃあ、おいらが姉ちゃんのところに行ってくる! 姉ちゃんが命令すれば動いてくれるんだろ?」
 ジルが言った。
「兄ちゃん、魔物が現れるまでって、時間はまだ大丈夫なの?」
「ええっと……多分まだ時間はあるぜ!」
「分かった! じゃ、行ってくるよ!」
 手を軽く挙げて挨拶をすると、ジルは一言“音”を発し、その場から消え去った。

「はあ……」シャンピオは間の抜けた声をあげた。
「ルード達のしていることにも驚いたけどな、あんた達の力っていうのも……なんて言ったらいいのか……いや、神様ってやつをあらためて信じたくなってきたよ」
「そりゃそうさ! オレ達はトゥファール様、力を司るアリュゼル神族の使いなんだから!」
 ディエルはさも得意そうに胸をはった。
「神様を“信じる”っていうのか、ここの人達は。アリューザ・ガルドに戻った時には、ちょいと考え方の違いってやつに戸惑うかもね。なんせ、神様がいるのなんて当たり前って世界なんだからさ。アリューザ・ガルドは――」
 その時。
 ディエルはまるで驚いたかのようにぴくんと背を伸ばした。何を感じ取ったというのだろうか。彼はひとりつぶやいた。
「近づいてくるこの“気”は、まさか! ……ううん、間違いない……! まだ時間がかかるか?! 早く!」

* * *

 デルネアとの攻防を終えた後、即座にルイエはきびすを返してやや後方に下がると、後方に留まっているメナード伯に対して、精一杯手を振って合図を送った。
「伯爵も気付いてくれたようだ。これでみんな、ここから逃げおおせられるだろう!」
 再びルイエはルード達のもとに戻り、満足げに言う。
 デルネアと対峙していたルード達は、顔を見合わせていた。お互い、一種の達成感が見て取れる。まったく絶望的な状況の中にあっても、一筋の希望がそこにあったのだから。
「あなたの勇気には敬意を表する」
 〈帳〉がルイエの肩をぽんぽんと叩いた。
「デルネアがこの世界ではじめて屈した相手というのは、おそらく、あなたなのだろう」
 それまで頑なだったルイエも、今はひとりの女性――サイファに戻り、安堵の表情を浮かべていた。
「私はルイエとして為さなければいけないことを、そのまま為したに過ぎないわ。烈火をこの地に招いてしまったのは私のまいた種。私の責任でもあるのだから」
 よほどあの一瞬に精神を集中させていたのか、少々やつれて見えるサイファは、それでも気丈に言った。
「私も危なかった。なんと言えばいいか……魂をすっぽりと抜かれてしまうような感じすら覚えたんだ。デルネアの“力”はあまりにも強過ぎる」
 それでもサイファは笑みを見せ、ルード達に握手を求めた。
「でも、ルイエとしての役割を果たせたのは、みんなのおかげだと思う。ありがとう」
 そう言うと横を向いて、照れくさそうな仕草をしてみせる。ルード、ライカ、〈帳〉はそんな彼女を微笑ましく感じながらも彼女の手を握り、サイファを励まし称えるのだった。
「で、これからあなたはどうするんだ? みんなをまとめてサラムレに行くのか?」
 ルードの問いかけに対し、サイファはかぶりを振った。
「住民達の避難は、メノード伯爵に任せたいと思う。私は、君達と一緒にここに残って、ことの顛末を見届けたいんだ」
「あなたも分かってるとは思うけど、危険なのよ?」
「もちろん、それは分かってるよ。でもライカ。私もこの事件に足を踏み込んだ身。最後までみんなと一緒にいたいんだ」
「分かったよ。俺達のことを見ていてくれ」
 ルードが言った。

「陛下!」
 その時、メナード伯が駆けつけた。彼は荒ぶる息を抑える間もなく、主君のもとにひざまずいた。
「陛下のご活躍、この老体はいたく感服いたしました……陛下のご勇姿は、永く語り継がれることでありましょう」
 ややも大げさかもしれないが、メナードの言葉には真理が含まれていた。ドゥ・ルイエが放った勅命を自ら撤回することは言語道断であり、恥ずべきことである。しかしサイファはそれを知りつつも、窮地から民を救うためにあえて勅命を撤回したのだ。彼女の心の中に芽生えた決意と勇気。それがルイエの英断を生んだ。
 サイファはくすりと笑って、メナードに立つよう言った。
「そう固くならずともいい。立ちなさい。メナード殿、それに周りの方々よ」
「はっ」
 メナードは言われるままに、すくりと立ち上がった。国王その人を前にして、緊張しているのがありありと伝わってくる。
「……あなたには避難民の統率をお願いしたい。無事にサラムレに着いて人々が安息を得られるよう、よきに計らってほしいのだが」
「仰せのままに」
 メナードは深礼をして応える。
「して、陛下はいかがなされるおつもりなのでしょうか? これより先、我らを率いてくださるのであれば、まことありがたいのですが」
「いや……私は……」
 サイファは、やや表情を曇らせて言った。
「姉ちゃん!」
 サイファの言葉に割って入るかのように、ジルの声が聞こえてきた。次にジルが空間を渡って実体を現し――すぐさまサイファに飛びつく。
「よかった、無事で! さすがは国王陛下だね!」
「ジル!」
 ややよろけながらサイファはジルの体を受け止め、彼の頭を優しく撫でた。
「ありがとう。君のおかげだ。……ん? ジル? ひょっとしたら、結構泣き虫なのかな、君は」
「ち、違うやい!」
 ジルは両目をこすりつつも強気に言ってのけた。
「これ! 降りんか! 失礼にもほどがあるぞ!」
 メナードは目をつり上げて注意を促すも、サイファはそれを制した。
「いいんだ、ジルは私の小さな友人だよ。それに、ジルが珠を創って使い道を教えてくれたから、巨大な私の像を皆に見せることが出来たのだ。ジルの力が大きな助けとなった。……でもジル。どうしてまたこっちまで来たんだ?」
「ああ、そう! そのことだよ!」
 ジルはぽんと手を打ち、地面に降り立った。
「ディエル兄ちゃんが言ったんだ。百を超すほどすごい数の魔物がもうじき現れるって。でも、こっちにいる戦士じゃあそんな数を相手に出来っこないんだ。だからお願い。あの赤い戦士達を向かわせてくれないかな?」
「魔物が来るって? それはどのあたりなんだ?」
「……! ご覧、サイファ。右手の遠く、あのあたり……私には霞んでよく見えぬのだが、あなたには見えるだろうか? あれらは、確かに今まで目にしたこともないくらいの数だ。“混沌”の力が強まっているゆえなのか……」
 半メグフィーレほど北方ではあるが、この地からでも明らかに分かる。暗黒に覆われた空の下にあってすら、さらに黒く光る禍々しい球体が一面に出現していた。間違いなく、魔物が現れる前兆である。
「百どころじゃあ……とてもじゃないけれどもきかない数だ」
 ルードも唇を歪ませて呆然とする。
 サイファはしばし、北方の有り様に目を凝らすように見つめていたが、言葉を切りだした。
「分かった。烈火に当たらせよう。烈火に勝ち目は?」
「あると思うよ。魔物とは言っても、“魔族《レヒン・ザム》”のような、高い位にある連中じゃあ無さそうだし」とジル。
「もしくは“忌むべきもの《ゲル・ア・タインドゥ》”と言われる、“混沌”の創造物の中でも、きわめて力の薄いものどもか。ならば、我らに勝機は十分にある」
 〈帳〉も言う。
 サイファはうなずくと、烈火のいるところへ向かって歩き始めた。
「メナード殿。私はここに留まる。勝手かもしれないが、私は全てを見届けたいのだ」
「陛下……」
「さあ、避難民達もさぞ焦れていることだろう。……頼む」
 そう言うと、再びサイファは歩き始めた。メナードは何やらサイファの背中に語りかけようとしていたが、思いとどまり、彼女の背中に深礼をして、きびすを返していった。

 サイファは再びデルネアと対峙する位置にまで戻ってきた。ちらと彼の様子を窺うが、デルネアはうつむいたまま、まるで石にでもなったかのようにぴくりとも動こうとしない。隷達もそれにならうようにただ立ちすくんでいた。
 その様子にやや不気味さをも感じたが、意を決し、サイファは高らかに声をあげた。

「烈火達よ、北方を見るがいい。一面に広がる黒い球こそ、忌まわしき魔物にほかならない。諸君らの敵はニーヴルにあらず、あれなる異形のものどもである! 烈火達よ、我が命に従い、あれらを撃破せよ!」

 すると、それまで壁のように居並んでいた烈火達が呼応した。ルイエに対して臣下の礼を取ると、鎧を着込んでいるとはとうてい思えないほど迅速に、しかし地面を揺るがせながらも北へと向かっていった。
(ふう……)
 サイファは、完全に開けた街道を見た。このまま西へと進めば、二、三日後には水の街サラムレへと辿り着くだろう。
 西の空は虚ろな灰色を映している。青を失った空とはいえ、それすらもこの上空を染める、黒く渦巻く空の絶望感と較べれば、幾分か人々に安堵をもたらすものとなるだろう。
 黒い雲がサラムレまで忌まわしい力を伸ばすのは、当分先のことになるようにサイファには思えた。このウェスティンの地が“混沌”に覆われるまでは。
「とりあえず、私の役目は無事に果たせた、というところか」
 サイファは、短くなった黒髪を掻き上げながらつぶやいた。
「私に勇気を与えてくれたのは、間違いない……エヤード――父上にルミ……」
 涙が自然とこぼれ出てくるのを止めずに、サイファは流れるにまかせた。
「ありがとう……」

* * *

 西への移動を心待ちにしていた北方の民達は、メナード伯の指示を受け、一斉に、しかし決して乱れることなく動き始めた。今や避難民の数も膨れあがり、最北のダシュニーや、東方のカラファー出身の人々を含めると二万を数えようかというくらいまでになっていた。
「一緒になって歩いてた時はそんなに意識してたわけじゃあないけど……いつの間にかすごい人数になっていたんだな」
 ルードは素直に言うほか無かった。
「ほら、地面が揺れてるみたいだぜ」

 人々を先導しているメナード伯は、馬車から降りるとサイファと、そしてルード達に一礼した。
「陛下。大変心苦しいのですが、我々は先に失礼いたします」
「いや、私のほうこそわがままを言ってすまないな。私達は青い空を取り戻すべく、ここで最善を尽くす。心配せずとも、必ずそうしてみせる」
 腫れた目のままサイファは微笑んだ。
「今は、烈火達が死力を尽くして魔物と戦っている。私達は、私達の戦いに打ち勝たなければならない」
「貴君らも気を付けて。運命が味方をしてくれることを祈っていますぞ」
 ルード達はメナードと、それに続く避難民達を見送っていた。ひたすら進むのに必死な者、安堵の表情を浮かべる者、皆の気分を慰めるべく楽曲を披露する者、ルード達に礼を述べる者――十人十色であったが、彼らは足早にこの地を去っていった。
 そして相も変わらずデルネアは、ぴくりとも動かずに人々をただやり過ごすのみ。
 事実上の敗北を認めたのか? それとも――。

「ルード」
 馴染み深い声に名を呼ばれたルードは笑みを漏らす。
「叔父さん……」
 いつの間にか、ルードの周りを囲むように人垣が出来ていた。ナッシュの家族や、ケルン、シャンピオといったスティンの村人達。それに麓で顔馴染みの人々もそこにいた。彼らの表情に共通することは一つ。
「ありがとうよ。そして頑張んなよ!」
 彼らの声を代弁するかのように、ケルンが前に出ると、やや荒っぽくルードの肩を叩いて励ました。ルードはケルンの肩越しに自分の家族の顔を見て取った。言わずとも分かっているかのように、お互い小さくうなずきあった。
 目前に迫る運命の時に至って気が張っているとは言っても、ルードとて一介の少年であることに違いない。ルードは感情を抑えきれず家族のもとに駆けだした。
「ルード」
 ニノは柔らかな手でルードの背中に手を伸ばした。頑固なディドルは、やはり黙って見つめている。
「こんなことになっちゃったけど、俺は俺なりにやり抜くよ」
 ルードは声を震わせながらも、自信を持って言い切った。
「そして、叔父さんがまた羊を飼って暮らせるようにする」
「お前はどうするつもりなんだい?」とニノ。
「俺は……ライカを無事、故郷に帰してやる。ライカとの約束だから。それに、出来れば世界っていうのをこの目で見てみたいし。それに……」
 ルードはちらりと従姉の顔を見た。
「後を継ぐとかいう話は……ごめん。今の俺には考えられなくなっちまってるみたいだ。でもケルンがいるから……」
「……え? な、なんでそこでケルンが出てくるのよ?」
 ミューティースが訊いた。
「ん、ケルンから直接聞いたわけじゃあないけど、ご両人の雰囲気、かな?」
 ルードは悪戯っ子のような表情を浮かべた。
「とにかく、俺がなんにも知らない、なんて思ってたら大間違いだぜ?」
「もう!」
 彼女は顔を赤らめ、ばつが悪そうにそっぽを向いた。
「そっちこそ、せっかく可愛い娘をつかまえたんだから、大事にしなさいよね!」
「わ、分かってるってば!」
 今度はルードが赤ら顔をする番だった。

 こうしてルード達は、つかの間の談笑――日常の和やかさを心地よく感じつつ、余韻を残すようにして別れていった。
 これが永久の別れでないことをお互い切に願いながらも。

* * *

 全ての避難民達が立ち去るのに半刻ほどかかっただろうか。この間に“混沌”が襲いかかってこなかったのは、ひとえに幸運の賜物としか言いようがなかった。

 そしてウェスティンの地には――ルード達と双子の使徒、そしてデルネアと彼の麾下たる隷のみが残った。北方では、烈火達が魔物達を相手に、熾烈な戦いを繰り広げている。
 今や空は黒一色と化し、“混沌”の到来を今か今かと待ち望んでいるようだ。ルードが神経を集中させると、足下の大地がしきりにざわめいているのを感じ取った。“混沌”に蝕まれ、自然本来の姿を失いつつある大地のざわめき。それは土の民の力を受け継いだルードにとって、耐え難い悲鳴にすら聞こえるようだった。
「もう、時すでに長くはあるまい。我らはいよいよ全てに決着をつけるべきなのだ」
 〈帳〉は空の様子を窺いつつ言った。
「デルネアよ」
 〈帳〉は歩み寄り、うつむいたままのデルネアに声をかけた。その口調はあくまで優しく、かつての友人を思う感情が表れていた。
「このままではいずれ終焉を迎えるのみだ……もう、いいだろう。フェル・アルムをあるべき姿に戻そう」
 そして、友に手を伸ばそうと、さらに一歩近づいた時。
 デルネアは無言のまま不敵な笑みを見せると――おのが剣を真横に薙いだ。

「〈帳〉さん!」
 ルードは悲痛な叫びをあげた。そして恐れた。冷徹そのもののデルネアの表情にルードは、デルネアの執念をかいま見たのだ。
「……!」
 〈帳〉の体が力なくよろける。〈帳〉の一瞬唖然とした表情はしかし、再び元に戻った。あくまで、デルネアに対峙する者としての、緊迫した表情。
「この期に及んで、まだ欲望を果たさんとするのか、デルネア!」
 〈帳〉は、自らの腕がぱっくりと割け、血に染まっていくのを感じていた。避けるのがもう少し遅ければ、彼は右腕を失っていたに違いない。
「欲望ではない。我が追い求める理想のためだ」
 デルネアは言った。相も変わらず、尊大な口調で。
「そもそも、なぜ我らがこの世界を創り上げたのか、今一度考えてみよ」
「アリューザ・ガルドを包んだ大いなる悲劇を繰り返さないため。それは私も同調していた。……しかし今、この世界はさらなる悲劇に見舞われようとしているのだぞ……!」
 朦朧としつつある中で、〈帳〉は必死に叫んだ。
「だからこそ、だ。我は絶対者たらねばならない。愚かな呪紋使いよ。先ほど言ったことを繰り返させるな」
 デルネアは、腕を抱えてうずくまる〈帳〉から目をそらし、ルードのほうに体を向けた。
「烈火を失ったからといって我の思惑が失敗に終わったなど、稚拙なことを思わぬようにな。我が求めるのはあくまでガザ・ルイアートなのだから!」
 デルネアは鋭い剣先をルードに向けた。
「やめるんだ、デルネア!」
 サイファは叫んだが、その思いはとうていデルネアに届くものではない。
「必ずや、その聖剣は我がものにしてくれる。貴様、あくまで剣を渡さぬと言ったな、ルードよ」
 デルネアの体から圧倒的な闘気が発される。
「〈帳〉さんに刃を……本当に向けてしまうなんて……」
 ルードは聖剣の柄をつよく握りしめ、デルネアを見据えた。
「人としての心を閉ざしてしまったあなたに、この剣は渡せない!」
「ならば、その言葉に後悔をして死ぬがいい!」

 言うが早いか。デルネアは両手に剣を構え、ルード目がけて走り寄ってきた。その速さたるや、人間のものではない。
 ルードはただ目を見開き、唖然とするしかなかった。
 気がついた時にはルードのすぐ目の前にデルネアがいた。
 彼は蒼白く光る剣を振り上げ――
「おのが身を護れ、小僧!」
 そう言いつつ、勢いをつけて振り下ろした。
 きいん! と甲高い音を立てて剣と剣がぶつかり合う。
 この世のものではない尋常ならざる剣同士は、火花を散らすでなく、己の持つ力を誇示し、相手を屈服させんとするかのように、その刀身から激しく光を発散させる。
 黒く染まったウェスティンの地は、瞬間ではあるが二筋からなる光に包まれた。
 そして――戦いが始まる。

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四. 錯綜

 ガザ・ルイアートと“名もなき剣”。そしてそれぞれの所有者の“力”が交錯しあう。二振りの剣は、己の持つ“力”を相手に知らしめんとするかのように、刀身からまばゆいまでの光をほとばしらせる。その二つの“力”の衝突におののくように、暗濁たる黒い空は打ち震えた。

 剣の発するまばゆさにルードは目をくらませ、これら超常的な事象の中で、とある奇妙な感覚にとらわれるのだった。
(なぜ、俺はここに立っているんだ?)
 自分が剣を握りながらも、まるで自分自身ではなくなっているかのような喪失感。今まさにデルネアと戦っているのだと認識してはいるが、その意識はまるで高いところから、あたかも俯瞰的に状況を捉えている感覚。 自分がいて、その横にはライカとサイファが息をのんで見つめている。後ろにはジルとディエルが控え、固唾をのんで見守っているのすら分かるようだ。
 ほんの数ヶ月前まで、一介の羊飼いの少年に過ぎなかった自分が、聖剣と称される剣を所持している。そして今や、この世界の創造者と戦っているのだ。それが、自身が感じている違和感の原因かもしれない。
 が、次にこう思った。今この時点になって唐突にそのようなことを想起することすらも、デルネアの惑わしの力、比類無き“力”によるものなのかもしれない、と。ルードは意識を集中させた。

 ルードは先ほどからデルネアの表情を間近に見ている。デルネアは憤怒の表情を浮かべながら、ぐいぐいと力任せに“名もなき剣”をルードに押しつけてくる。ルードは、両手で聖剣の柄を固く握りしめ、デルネアの攻撃を必死にしのいだ。
 デルネアの剣技は圧倒的に鋭く、重い。比類無きその技量は、かつてのレオズスを倒した英雄として、そしてフェル・アルムの調停者として、まさに相応しいものに違いない。
 加えて、デルネアの全身から発する凄まじい威圧感が、容赦なくルードに襲いかかる。
 それは殺気。デルネアは何としても聖剣を手に入れようと必死なのだ。そのためにはルードを殺すことなど、なんの躊躇もなくやってのけるだろう。ルードは歯をぎりぎりと食いしばりつつも、デルネアの猛攻を防ぐのがやっとだった。
 デルネアとの戦いは、世界の命運そのものを賭した戦い。剣を突きつけつつも、世界のあり方を主張しているのだ。
 しかし戦いなどは本来、崇高なものではない。かつての自分がそれを思い知っているからだ。ルードの胸中には、幼かった頃に村を襲った惨劇が去来した。
 ――幾千の蹄の音と怒号。ばちばちと音をあげ、狂おしく燃えさかる炎。戦いの悦びに狂乱したかのような戦士達の刃にかかり、断末魔の悲鳴を上げる村人達――。
 村のつつましやかな平穏は、かくもあっけなく蹂躙され、もとに戻ることはなかった。戦いとは、そういうものなのだ。

 今、剣を交えている相手は、これまでルードが戦っていたような、忌まわしい魔物ではない。人間なのだ!
 デルネアというひとりの人間を殺さねばならないのか? 自分は人を殺そうとしているのか?
 手が震える。汗がにじむ。ルードは心の中でかぶりを振った。
(違う! 殺そうとしてるんじゃあない! デルネアのほうは、確かに俺を殺そうと考えているのかもしれない。でも俺は、デルネアを殺すわけにはいかないんだ。還元の方法をデルネアから聞き出さなければ! そのためにはデルネアの考えが間違いだってことを、気付かせるしかない……けれど、どうやって?!)
 デルネアに心の迷いを気取られないようにと心に留めながらも、ルードは必死で剣を押し返そうとした。
 ふいに、それまでルードの腕に重たくのしかかっていたデルネアの力が消え失せた。ルードは勢いあまって二、三歩よろめいた。
 今まで剣を交えていたデルネアは、ルードの目の前からいなくなっていた。デルネアはルードから離れ、彼がもと立っていた場所まで、ほんの一瞬のうちに移動していたのだ。
 デルネアは剣を構えながらも、鋭い眼差しでルードを威嚇している。そして――デルネアの横には〈帳〉が倒れている。デルネアの刃に倒れ、意識を失った〈帳〉が。
 〈帳〉さんが、死ぬ?
 この時になってルードは、自身の鼓動が胸から飛びださんとするくらいに大きな音を立てているのが分かった。同時に、まるで滝のように体中から汗が湧いてくる。
 自らの死への恐怖。人が死にゆくことへの恐怖。恐怖と、戸惑いとが複雑に絡み合ったような奇妙な感情は、ルードを束縛して離そうとしない。
 ルードは迷いをうち切るかのように、大きく息をついた。ふたたび剣を構えて、デルネアの一挙一動を見守べく、きっとした眼差しで見据える。しかし、一度喚起されてしまった恐怖というものは、そう簡単に払拭されるものではない。
(違う! 俺は恐れてなんかいない!)
 そう奮い立たせても、ルードの心は深く沈んでいくのだった。デルネアの体がひどく大きく見える。この人物に戦いを挑むこと自体、無謀きわまりないことなのではないか?
 ルードは、デルネアの術中に陥ったことが分かりながらも、どうすることが出来なかった。

* * *

 デルネアは無表情のまま、横たわる〈帳〉を足でつついた。わずかながらに〈帳〉は呻いた。
「やめて!! 何をするの!」
 たまらずに叫び声をあげたのはライカだった。
「どうもせぬ。〈帳〉も、すでに自ら止血を行っているようだな……」
 デルネアは相も変わらず慢心した態度で、ことも無げに言ってのけた。
(まさか、〈帳〉さんを盾に取るつもりなのか?)
 用心深くデルネアの様子を窺いながらも、ルードはそう考えていた。もし、デルネアが〈帳〉を人質に取り、聖剣を渡すよう言ってきたのならば、どうするだろうか? それでもあくまで「否」と言い切れるほど、ルードの心が非情でないことは自身もよく分かっていた。
(人の命は重い……。多分、俺は戸惑うんだろうな……)
 苛立ちを隠しきれず、ルードは軽く下唇を噛んだ。
 その時、いたたまれなくなったライカが、〈帳〉のほうへと駆け寄ろうとした。おそらくは、彼を介抱しようというのだろう。が、ルードはとっさにライカの肩をつかみ、制止した。
「ルード、なぜ?!」
 振り返り、ライカは非難の声をあげる。
「ご、ごめん……」
 ルード自身、自分がなぜこのような行動をとったのか戸惑った。彼の本心は断じて〈帳〉を救うのを止めさせたいわけではないのに、彼の感覚がそれを押しとどめた。
「ううん。ルードの行動は正しい、かもしれない。ライカ、分かってやってくれないか。もしもあなたがデルネアにとらわれてしまったら、ルードだって手出しが出来ないだろう?」
 ルードの心を代弁するようにサイファが諭した。ライカは不満と苛立ちの色を隠しきれないようだが、それでもうなずいた。
「ライカ、もう少しの間辛抱してくれ。そしたら〈帳〉さんを介抱してやってほしい。俺がデルネアと戦っている時に!」
 ルードは再び光り輝く剣をデルネアにむけて構えた。不思議なものだ。先刻まで恐怖に駆られていた心が、仲間達を見ているだけで落ち着くというのは。
 これは決して、孤独な戦いではないんだ、とルードはあらためて知った。デルネアの惑わしのみならず、自分自身の葛藤にも打ち克つためには、親愛な者達が側にいることが何よりの力となるのだ。

「ふん……気が変わった……さすが聖剣と呼ばれる剣。たいした“力”を秘めているものよ」
 デルネアは余裕のていを崩さず、不敵な笑みをたたえながら言った。
「何人であろうとも邪魔はさせん。隷どもよ、お前達も控えておれ。我らの戦いに立ち入ってはならぬ! ……いかな手を使ってもルードを破るつもりでいたが、やはり聖剣だけは、おのが“力”のみで手に入れてみせる。それこそがガザ・ルイアートに対しての礼儀であり、また剣士としての名誉になろう……!」
 デルネアは、戦いの悦びに打ち震えているようだ。世界の創造者ではなく、ひとりの剣士としての彼がそこにあった。
「我は楽しんでいるぞ、ルード、お前と戦えること自体にな! だが……お前の心が我には分かるぞ。隠し通せぬものだ」
 傲慢な笑みはそして、すうっと消え失せる。
「――恐れだ。我を、そして戦いを恐れているのだ、お前は」
 冷徹なまでの声が響いた。デルネアは容赦なくルードの精神を責め立てる。

 ルードはたじろいだ。自分が隠していた感情が、とうとう見透かされたのだ。こうしている今でさえ、恐怖が沸き上がってきているのに。やはり恐るべきは、人をかくもあっけなく虜とするデルネアの戦術である。
 しかし、その一方でルードは感じていた。活力を止めどなく送り込んでくれる聖剣の“力”を。今さっきまで感じる余裕すらなかったのだが、ライカとのやりとりを経て、急に感じ取れるようになったのだ。
 ライカ。彼女の願いを成就させるために、自分はことを為さねばならない。サイファは自分自身のやるべきことを成し遂げたのだから、今度は自分の番なのだ。
「恐れ? ……そうかもしれない。いや、確かに俺は怖いよ」
 その言葉は、はたから聞いて意外なものだったろう。が、ルードは、デルネアに対しての答えはこれしかないと直感した。恐怖を否定してしまったら、かえってデルネアの術中にはまる一方だろうから。
 ルードの直感は果たして、正しかった。内なる敵――葛藤は、迷宮の出口を指し示したのだ。がんじがらめの呪縛から解けたかのように、すうっと心が軽くなる。聖剣もまた、所持者を讃えるべく、刀身から真っ白い光を放つ。その光に包まれたルードは、己の活力が増していくのを感じていた。

「……あえて恐怖を認めたか。覚えておくがいいぞ。いかに手練れた戦士や魔法使いであっても、恐怖の領域を切り開くということは、容易いようで難しいのだからな。……それでこそ聖剣所持者に相応しい」
 デルネアは喜んでいるようだった。両の目に爛々とした獰猛さをたたえながら。
「しかしだ。だからこそ、容赦はせぬ……!」
 デルネアはとんとんと、足を踏みならした。何かをはじめようとする、きっかけのように。
 “名も無き剣”が蒼白く光り、そして――闘気が急襲した!

「――!!」
 ルードは自身の感じるままに、また、聖剣に誘われるかのように、とっさに剣を突きだした。と、ちょうどガザ・ルイアートの刀身がある場所に、寸分違わずデルネアの剣が打ち据えられた。剣同士が唸り声をあげ、光がほとばしる。
 デルネアの、何と恐るべき速さなのだろうか。彼はほんの一瞬で間合いを詰めてきたのだ。そして、木の棒を振り回すかのように軽々と、おのが剣を横に二度、三度薙ぐ。あまりの速さに、刀身の蒼白い光は光輝を後に残した。幻想的な残像に、ルードは見とれる隙すらない。次の瞬間には、あまりにも重い剣の一撃が加えられる。ルードは再び、剣の柄を固く握り、攻撃に耐えてみせる。
 デルネアはすうっと剣をひくと、今度は目にもとまらぬ剣の突きを見舞う。ルードはじりじりと下がりながらも突きをかわしたが、それでも数撃は見切ることが出来ず、自分の腕に直に突きを食らうことになってしまった。
「くっ!」
 斬りつけられた、その熱さと激痛が腕を伝って感じられる。ぱくりと割けた傷は、かすり傷と言えないほどに大きいものであったが、太刀筋のあまりの鋭さゆえか、血しぶきがあがることは無い。そして、その痛みもごく一瞬。ルードの傷はすぐに癒えた。大地の加護を受け、癒しの力を持つセルアンディルは、外傷などもろともしないのだ。
 次にルードは勢いをつけて、自らデルネアの懐に入り込むと、光り輝く聖剣の一撃を見舞った。さすがのデルネアであってもたまらず一歩飛び退き、間合いを外した。
 ルードは汗を拭いながらも、凛とした目つきでデルネアを窺う。ちらと横を見ると、ライカとサイファはこの隙に〈帳〉を介抱していた。それを見てルードは安堵した。一方、主の命令に忠実な隷達は、ただ立ちすくんでことの成り行きを見るのみ。
 戦いはしばしの間、膠着状態となった。
 しかし、静かなる戦いはなおも続く。デルネアのあびせる比類無き闘気の強さから、ルードは必死に耐えてみせた。その一方でルードは、かつて〈帳〉の館にてハーンから習った剣技の数々を思い起こし、反芻していた。
(見ていてくれよ、ハーン!)
 気を取り直し、ルードは剣を下段に構えると、再び自ら駆けだした。
 が、粘土のようにぬるり、とした地面の感触に足をすくわれ、少々体勢を崩す。ウェスティンの地には湿地帯など無かったはずなのに――。だが足下を見なくても、“混沌”と対峙していたそれまでの経験から、ルードは状況を把握した。
 これは明らかに“混沌”の仕業である。それまで固かった地面が腐り、どろどろに溶けている。こうして戦っている間にも“混沌”は我関せずと、じわじわと攻め寄ってきているのだ。
 終焉の時は近い。

 ルードの足下がふらついた一瞬の隙を逃さず、デルネアはルード目がけて突進してきた。ルードが気付いた時にはすでに遅く、目の前にはデルネアの巨躯が迫っていた。
「ルードぉ!」
 その声は、ライカのものだったろう。ルードがそう思う間もなく、ごすっ、という鈍い音とともに、ルードは十ラクほど吹き飛ばされる。渾身の体当たりの衝撃のために、あばら骨が折れたのだろうか、激痛が走り、一瞬意識を失いかけた。かろうじて、聖剣を手離しはしなかった。
 地面に放り出される際の、ぐにゃり、と柔らかい地面の感触に嫌悪感を感じつつも、ルードは素早く起き上がった。目の前には早くもデルネアが駆けつけており、剣を真横に構え、ルードの首のみを狙っていた。ルードは殺気を感じ取り、とっさにかがむ。
 間一髪。デルネアの剣が頭の上をかすめ、後ろ髪の数本が切り落とされた。セルアンディルであっても、首が飛んでしまったら命を失うだろう。ルードは高ぶる鼓動を抑えながらもデルネアの剣から必死にかいくぐった。起き上がる機会を逸してしまったため、臭気が鼻につくぬかるみに座り込んだまま、デルネアを見上げるようにして剣で応戦する。とはいえ、この体勢ではいずれ近いうちにデルネアの剣の餌食になってしまうだろう。
(どうする?)
 ルードは自問しながらも防戦する一方だった。徐々に、追いつめられているのは分かっている。攻撃を受けるたびにじんと痺れる腕も、いつまで保つのだろうか? 持久戦になれば、いかにルードが聖剣所持者といえども、天性の剣の使い手であるデルネアに敵うはずもない。
 体力と精神を消耗してきたルードはほんの一瞬、集中力を乱してしまった。すかさず、勝利を確信したデルネアは容赦無い一撃をたたき込もうと、剣を上段に構え――唸りとともに振り下ろす。ルードはもはやなすすべなく、呆然と自らの死を見つめるほか無かった。
 が、かきん! という乾いた音とともに、デルネアの攻撃はこぶし一つ分の隙間を残して遮られた。目の前には緑色の硝子のような壁が出来上がっていた。明らかに、術によるものだ。
 デルネアはしばし、剣を振り下ろした体勢のまま、固まったように動かなくなった。やがて、怒りに満ちた表情をふつふつと満面に浮かべると、戦いの場から離れていった。
「我らの戦いに割って入るとは、鬱陶しいぞ――〈帳〉めが!」
 ルードはすくと起き上がり、デルネアが近づこうとしている方向を見る。ライカの肩を借りながら〈帳〉が起き上がっていた。その顔に生気はまだ感じられないものの、ルードの顔を確認すると、彼は小さく笑ってみせた。デルネアの剣戟からルードを守った障壁は、〈帳〉が作り出したものだろう。だが、普段の〈帳〉ならいざ知らず、今の彼を見るに、術が行使出来るほど力がみなぎっているとはとても思えない。
「アイバーフィンの魔力を借りてしか術が行使出来ぬとは、貴様も落ちたものよ! “礎の操者”の名が泣くぞ」
「……今さら私の名前がどうなろうと構わぬ。しかしルードとガザ・ルイアートは、我々の希望を繋ぐものなのだ。だから決して……」
 〈帳〉は言いつつも、力なくライカに寄りかかった。止血に費やした魔力がことのほか大きかったのか。おそらくは持てる魔力を出し切ってしまったのだろう。
「わたし達だって、このままルードを見てるだけなんて出来ないもの! ルードを……なんかしてみたら! 許さないわよ、わたしは! 絶対に!」
 〈帳〉の言葉を代弁するかのように、ライカがわなわなと、感情をむき出しにして言い放った。
「それほど愛おしく思うのか、この小僧を? だが……」
 ルードはこれぞ絶好の機会とばかりに、デルネアに切ってかかろうとした。
「甘い!」
 デルネアは振り向きざま、おのが拳を地面に力強く叩き付けた。ぬかるんだ地面はいびつに湾曲しながらも、ごん、と石が割れたような固い音を立てる。地面が割れ、それはすぐにも、奈落の底へと繋がる大きな亀裂となった。その幅は二十、いや三十ラクにも及ぶだろうか。
 ルードはかろうじて後ろに逃げ、谷間に落ちるのだけはかろうじて逃れた。しかしすでに自然の理を失いかけている大地は、なおもその亀裂を大きくしようとしており、ルードは慎重に後ずさるしかなかった。
「隷ども! あの邪魔者どもを抑えておれ!」
 デルネアがそう言うと、隷達は即座に恭順の姿勢を示した。そして各々の魔力を力と変え、〈帳〉とライカを攻撃し始めた。漆黒に染まった稲光のような魔力が容赦無く発せられる。
 〈帳〉は再びライカの持つ魔力を借りて、瞬時に緑色の膜を作り、それらの攻撃をしのぐ。が、彼に出来るのはそれが精一杯だった。かつて魔導師として名を馳せた彼とはいえ、力を失った今の〈帳〉には、複数の魔力に対して打ち勝つだけの余力はない。ただ、抗うのみ。しかも魔法の障壁はルードの目から見ても弱々しく、いつ破れても不思議ではない。
 と、意を決したかのように、ジルとディエルが〈帳〉の前に立った。双子の使徒は、調和する音階を互いに発しつつ、それぞれの両手を前にかざした。〈帳〉の障壁とは比べものにならないほど、強靱な魔力の壁が出来上がり、一切の攻撃を遮断した。
「ここはオレ達がしのいでみせる! だからルードは、デルネアを頼む!」
 ルードは仲間達にうなずいてみせると、デルネアの動向に目を向けた。
 熾烈な戦いが、再び繰り広げられようとしている。

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五. 戦いの行方

 ルードは、今し方割れたばかりの断崖に落ちないように気を配りつつ回り込むと、再びデルネアと対峙した。両者が剣を構えると、互いの剣は火柱をあげるがごとく、光を放つ。
 そして。ルードとデルネアは申し合わせたかのように同時に動いた。両者が近づくにつれて剣は光を増し――激突。
 きぃん、きぃ……ん、と。剣が合わさるたびに、高らかに叫び声を放つ。それは金属が合わさる際の刃音のみならず、剣そのものが歌い上げる、この戦いへの賛歌であった。
 今度の戦闘は、無心そのもの。両者は純粋に剣の技のみによって自らの勝利を勝ち取る姿勢だ。正確な息遣いと、剣の咆哮のみが、音の全てとなり周囲を支配する。空気は、まるで二人の回りにしか存在しないかのように凝縮する。
 何合も何合も。お互いの剣はうち合わされ、交わった。
 ルードは剣を振ることのみ意識を集中していた。彼が抱くのは恐れでも戸惑いでもなく、やはり無心。次にどう動くべきなのかと頭で考えるのではなく、体が自然に動く。ガザ・ルイアートは今や、主人の思いそのままに動き、そして助けてくれるのだ。常人では御しきれないほどの多大な“力”がルードに流れ込むが、聖剣所持者たるルードは、その比類無き“力”をおのがものとし、畳みかけるようにデルネアに攻撃を仕掛けていった。

 どれほどの時が経ったろうか。ルードは、剣の発する音がそれまでと異なっているのに気付いた。ガザ・ルイアートは相も変わらず高揚した鬨《とき》の声を発しているのに対し、“名も無き剣”は音が途切れ途切れとなってきている。ルードは標的を決めた。
 狙うは、名も無き剣のみ。デルネアが剣を落とせば、デルネアの敗北が決まる。全てはそれからだ。還元のすべを、デルネアの口から聞き出さねばならない。だが“名も無き剣”の力が衰えてなお、両者の“力”は互角である。いや、剣技のみ言及するのならばデルネアが圧倒するのに変わりはない。
 デルネアの剣先がぶれるように動く。が、これは明らかに見せかけの攻撃だ。ルードは誘いに乗ることなく、一歩間合いを外した。デルネアは意外そうな表情を浮かべ、しかし彼も一歩身を引く。わずかな隙を空けて、両者は対峙する。その場所から少しでも踏み出せば、再び戦いが繰り広げられるだろう。
 ルードが見据えるのはデルネアのみ。無心を崩したほうが負ける。勝負は、次の一撃で決まる。
 凝り固まった空気の中、両者はお互いの出方を睨んでいた。

 そして、デルネアが動いた!
 ルードは冷静にデルネアの太刀筋を読みとると、自らも一歩踏み込んでいく。
 デルネアが狙いをつけたのは、ルードの心臓のみだと知れる。デルネアは大きく突きを繰り出してきた。彼の右腕が大きく伸び、ルードの心臓目がけて剣が襲いかかってくる。
 ルードは心の中でうなずき、意を決して剣を大きく薙いだ。すでに攻撃を仕掛けているデルネアは、避けることなど出来ない。刃は確実に、デルネアの右腕に当たるだろう。
 ついに、鈍い音が伝わった。
 ルードは、その瞬間をつぶさに見ていた。聖剣の刀身がデルネアの右腕をがっちりとらえ、断つ!
 ルードは勝利を確信した。
 しかし、それも一時。ルードはデルネアの執念を思い知るのであった。デルネアの右腕は、切断されたにも関わらず、さらに伸びてくるのだ! それはデルネアの勝利への執着ゆえか。まるで右腕そのものが生を得ているかのように剣を握ったまま離さず、ついにルードの胸元をとらえた。
 ルードは為すすべなく、自分の胸板にずぶずぶと剣が埋まっていくのを感じていた――! デルネアが生んだ、狂気じみた執念の凄まじさによって、とうとう剣の柄までが胸に埋め込まれ――ようやくデルネアの右腕は力を失い、剣から離れると、ぽとりと落ちた。

「がぁああっっ……!!」
 そのあまりの激痛に、ルードは苦しみもがく。
 剣は胸を貫通しているのだ! 早く剣を抜かなければ!
 癒しの力を持つとはいえ、出血がひどければ命を落とす。何より、体をまっぷたつに割くようなこの激痛には耐えられない。弱々しく呻いていた“名も無き剣”は今や刀身から蒼白い闘気をほとばしらせ、ルードの体内を蝕んでいるのだ。
 ルードは呻きながらも、埋め込まれた剣の柄に左手をかけると、抜こうとする。が、焦るあまりに剣はいっこうに抜けない。自分の背中と胸元を濡らしているのが、自身の血しぶきであるのをルードはようやく認識した。
「……っ!」
 肺から息が漏れているためか、もはやルードは声を出そうにも音すら出てこない。代わりに喉からのぼってきたのは、大量の血だった。
 早く剣を抜かなければ!
 焦りは増幅するのみ。ルードは両手を剣の柄にかけるが力尽きて、ついに倒れ伏した。どろどろに腐った土の匂いと、なま暖かい血の匂いがルードの嗅覚をとらえるが、嘔吐感に襲われたルードはさらに吐血し、目の前の地面をどす黒く染めた。
 デルネアが近づいてくる。今の彼がどのような表情でルードのもとにやって来ようとしているのか。絶対者としての傲岸不遜な様子をたたえているのだろうが、ルードには顔を上げる余裕すらない。ルードはただ喚き、もがくことしか出来なかった。
「貴様の負けだ」
 咎人に裁きを宣告するかのような、感情を感じさせないデルネアの声が聞こえた。
(……そうかもしれない。とうとう俺は死ぬのか)
 激痛の果てに意識はすうっと遠のいていく。
 が、浮遊感とともに意識は呼び戻された。心地よい声が自分の名前を呼び、自身の上半身が抱き起こされているのを認識した。意識を視覚に集中させると、そこにはライカの顔があった。
 おそらくは必死の思いで隷達の攻撃をくぐり抜け、単身ここまで辿り着いたのだろう。

『ルードがわたしを護ってくれているように、わたしもルードを護りたい。約束するわ』
 昨晩、ライカが言った言葉が思い起こされる。

 ライカは、ルードの胸元に痛々しく刺さっている剣に目を移すと、即座に柄を持ち、引き抜きにかかる。
 しかし、膨大な魔力をおびた剣は、触れただけで命取りになりかねない。かつてガザ・ルイアートがルードを試すように行ったように、“名も無き剣”は尋常ならざる“力”をライカに注いでいく。
 ライカは苦痛に顔をゆがめながらも、しかし剣の柄から手を離そうとしない。少しずつではあるが、刀身が引き抜かれていく。異物が体をうごめく激痛に体をよじらせながらも、ルードは必死に耐えようとした。ライカは、自分以上の苦痛を覚えているのだろうから。剣が送り込む“力”の流れは、所有する資格を持たない者に対し容赦をせず、心身を消し飛ばしてしまうまでになる。今のライカはルードを救うという一心のみで力に抗っているのだ。
 ようやく剣が抜けようというその時、ルードの胸中に、ある情景が浮かんできた。

* * *

 それは夢の中の出来事にも似ていた。印象的なイメージがルードの頭を駆けめぐり、彼の脳裏に深く刻み込まれた。
 “名も無き剣”はルードに見せる。剣が存在するようになってから幾多の所持者が現れたことを。所持者達の思念はあまたのイメージを形成してルードの体を駆けめぐるが、すぐにルードは忘却してしまった。だが、そんな中にあってルードの心を強くとらえたもの。それはかつてのデルネアの姿であった。

 それはまだ、デルネアがアリューザ・ガルドにて生活をしていた時分である。
 何がしかの迫害を受け、流浪するほか無かった幼少の頃。
 “魔導の暴走”という、暗黒の時代が到来する中、奴隷戦士として剣闘場で活躍する少年。
 レオズスを倒すも、それまでの王朝は崩壊し、秩序が失われ、民衆が苦しみにあえぐ中で呆然とする若者。
 そんなデルネアの想いはどの時代においても変わることがなかった。そして、おそらくは今も。
(もっと力を持ちたい。他を圧する力さえあれば、こんな目に遭わなくてすむというのに!)
 それはデルネアの痛切な願い。自分自身を、そして世界をより良い方向に進めたいという彼の願いは、いつの頃からかその一途さゆえに歪んでしまったのだ。
 そして彼はついに理想郷を創造する。永遠の千年――フェル・アルムと名付けた、閉鎖された大地に望むことはただ一つ。平穏。変化など一切許されない、緩慢なる平穏。
 しかし〈変化〉は自然と始まっていくもの。歴史の中でデルネアは陰ながら動いて変化を消し去り、虚構の真理を創り上げていった。
 “絶対”という名の殻の中に悲しみの全てを押し込め、歪んでしまった理念を追求しようとするかつての英雄。それがデルネアだった。

* * *

「ルードぉ!」
 愛しい者のあげる痛切な声がルードの意識を呼び戻す。
 長いこと見ていたように感じられたイメージも、おそらくは一瞬の出来事だったのだろう。ちょうど、剣の切っ先がルードの体内から引き出されたところだった。
 今まで体を支配していた激痛は途端に収まり、自身の体が癒えていく。だがもはや体は衰弱しており、再びデルネアと戦うのはおろか、立つことすら叶わない。今はただ、ライカの暖かな腕の中に抱きかかえられているしかなかった。
「ルード、今、剣を抜いたからね!」
 ライカ自身を襲った激痛に耐えぬいてなお、ルードに微笑みを見せる。そしてライカはきびしい表情でデルネアを見据えた。
「やめて! もうこれ以上……戦うのは!」

 デルネアは空を仰ぎ見た。それまで覆っていた黒い雲は、潮だまりに貯まった海水が引くように、渦を巻きながらも、さあっと北の空へと帰っていく。空は明るみを取り戻すが、それすらも世界が崩壊していく際の産物でしかない、曖昧な薄ぼんやりした灰色の空に包まれた。
 何より、黒い雲は去っていったわけではない。津波や濁流のごとく、今度は“混沌”そのものを伴ってこの地に襲いかかるのだ。
「もはや時は無い」
 右腕を失ったデルネアはややも苦痛に呻きながらも、しかし尊大な口調で言った。
「“混沌”が到来する。我はその時にこそ、“混沌”と向かい合う。大いなる“力”を持ってすれば、フェル・アルムに出現した“混沌”など、造作もなく消し去ることが出来る――そのために聖剣が必要なのだ」
 デルネアは身をかがませると、残った左腕で剣をとろうと動いた。それはデルネアの所持していた“名も無き剣”ではない。持ち主の手から離れ、今や鈍く銀色に光るのみとなった剣。聖剣ガザ・ルイアートだった。先ほどの激痛の最中、ルードは剣を離してしまっていたのだ。
「やめ――!」
 ライカが叫ぶのもむなしく、デルネアは聖剣を手に取った。

 輝きを失っていた聖剣は再び白く光り輝く。あたかも、新たな所持者を迎え入れるかのように。デルネアは恍惚とした表情で、剣が発する圧倒的な“力”に酔いしれていた。
「そうだ。この絶対的な“力”こそが我を至上に導くもの! “名も無き剣”が我にもたらした以上の“力”を、聖剣は与えてくれる。フェル・アルムは平穏を保てるのだ」
「絶対的な“力”だって?!」
 ルードはやや身を起こし、デルネアに訴えかけた。
「そんなもので、俺達は支配されたくない!」
「だが、今や我の思惑以外にことは運ばぬぞ、小僧。お前達の些末な思いなど、所詮は達成出来ぬものだ。先も言ったように、今さらあがいたところで時すでに遅過ぎる。……なぜならば還元のすべを発動するには、トゥールマキオの大樹を媒体とせねばならない。遙か南の森まで赴く時間があるか?」
 ルードは、空間を転移するジルのことを想起した。ジルがいれば何とかなるかもしれない。しかしここは押し黙った。
 デルネアが聖剣を手にした今、状況は絶望的となったが、ルードの心には何かが引っかかっていた。聖剣がそうも容易くデルネアの手中に落ちるものなのだろうか?
「敗北を認めよ。かつての聖剣所持者よ」
「いやだ! 俺は認めない!」
 ルードはライカに肩を借りながら、よろりと立ち上がった。
「俺達はみんな、今まで運命のまっただ中で、やるべきことをやりつつ、あえいできた。ガザ・ルイアートもそうだった。運命を切り開く剣、それがガザ・ルイアートだ。もし聖剣が意志を持つって言うんなら、聖剣の答えを聞いてみたい。聖剣は……俺達の想いにきっと答えてくれるはずだ。俺は負けたわけじゃない。最後に勝つのは俺達だ」
 今まで運命とともに歩んできたルードは、確固たる思いとともに答えた。
「負けるのはデルネア、あなただと知るべきだ!」
「なればルードよ。我は聖剣の力をもって、お前に返答するとしようぞ」
 デルネアは聖剣を振り上げ、その刀身を力一杯地面に突きつけた。地面は大きく波を打ち、やがて亀裂が走る。
「聖剣所持者は二人といらぬ。我が聖剣を所持した今、聖剣にとってお前は厄介者に過ぎぬ」
 すぐに亀裂はルードとライカの足下にまで及び――暗黒へと誘う口を大きく開けた。
「我の前から失せよ、ルードよ! 死してなお、貴様の魂は未来永劫落下し続け、暗黒の中でただ彷徨うのみ!」
 ルードとライカは言葉を発するいとますら無く、二人の体は奥深く、漆黒の闇の中へと溶けていった――

「ああ!」
 サイファの口から悲痛な声が漏れ、力を無くしたかのようにへたり込んだ。
 サイファの声を聞きながらも〈帳〉は、一つの思いに束縛されていた。
(この場にいながら、私になすすべがないとは……!)
 ぎりぎりと、自身の歯をきしませながら、〈帳〉はどうしようもない怒りと、悲しみ、やるせなさを感じていた。
 聖剣はデルネアの手に落ちた。ルード達は奈落の底へと消え去り、もはや救う手だてはない。希望は、かくもあっけなく打ち砕かれたのだ。
 あとに残るものは敗北であり、滅び。
 〈帳〉は、自身の無力さを嫌というほど痛感した。フェル・アルム創造の折にクシュンラーナを救えなかったように、今また為すすべなくルードとライカを失ってしまった。
 いつの間にか、隷達の攻撃は止んでいた。デルネアが目的を果たした今となっては、わざわざ〈帳〉達なぞに構うことなど無い、ということだろうか。
「我はついに、絶対なる“力”を手に入れたぞ! 我こそが至上の存在。全ての事象を支配し、形成し、物語るべき存在だ!」
 デルネアは自身の存在を高らかに宣言した。
 その時。

「いや。そうはいかないよ」
 その声は、デルネアのすぐ背後から聞こえた。デルネアにすら全く気配を感じさせない、その声の主は誰か。
「何てことなんだ……僕がもう少し来るのが早ければ、二人を失うことなど……」
 声の主――金髪の青年は、すっとデルネアの横にまで歩み寄り、亀裂を見つめつつ、悲痛な声で自らの至らなさを呪った。デルネアは、白い衣をまとったその金髪の青年をまじまじと見据える。
「お前……は何者……いや……まさか……」
 明らかに恐怖のために、デルネアの声が震える。
「信じられぬ。姿は違っていても、その“力”は……」
「君は僕を知っているはずだよ。デルネア。あれから幾とせが流れたとは言っても、決して忘れるはずがないからね」
 青年の声は穏やかでありながらも、威圧感を秘めている。
「許せないな。ルード達を殺めることはないだろうに!」
 ぴぃん、と空気が張りつめる。
 デルネアは剣を構え、青年と向かい合う。ゆっくりと息を吸い込み、そして――動揺を隠しきれずに言葉を放った。

「なぜ! なぜこのフェル・アルムに御身がいるというのだ! レオズス!」

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