『フェル・アルム刻記』 追補編

§ 七. 運命の渦中にあった者達、その後の出来事

 ここでは、「フェル・アルム刻記」における運命の渦中にあった者達――ルード・テルタージ、ライカ・シートゥレイ、ティアー・ハーン、〈帳〉、サイファ――
 一連の事件の顛末を迎えた彼らの、その後を綴る。

〈フェル・アルムのアリューザ・ガルド還元後〉

 “大いなる変動の時”――すなわちフェル・アルム暦一〇〇〇年は、アリューザ・ガルドの暦法であるアズニール暦に換算すると一〇五六年にあたる。アリューザ・ガルドではこの出来事を“失われた大地の還元”と呼ぶようになっている。

 その年の夏、にわかに空には暗雲たれ込め、大地震と、天を轟く雷がアリューザ・ガルド全土を襲った。地異が過ぎ去った後、“失われた大地”と呼ばれていた地域に忽然と姿を現した島こそが、フェル・アルム島だった。

 当初、魔物の棲む島として敬遠されていたものの、独自に王国――フェル・アルム王国――が築かれているのが判明すると、ティレス王国はフェル・アルムと国交を結んだ。
 一方でティレスの隣国であったイイシュリア王国は一〇五八年、フェル・アルムの制圧に乗り出すが、フェル・アルム女王サイファ・ワインリヴ指揮のもと、フェル・アルム精鋭騎士団“烈火”により退けられる。この戦いの後イイシュリアは国内外からの反発を買い、一〇五九年にはティレスに併合されることになる。
(これ以前のアリューザ・ガルド情勢については、書物「悠久たる時を往く」に詳しい)

 サイファは、宰相たち、相談役のウェインディルと共にティレス王国へ赴き、対等な立場での国交を樹立させることに成功し、再び島へと戻っていった。

 ここに当時のバイラル勢力図を示す。この勢力図はアズニール暦1200年代が近づいた現在も維持されている。

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『その煌めきと共に』

 季節は冬。
 港町ネスアディーツは今日も活気に溢れている。
 アズニール暦一〇五九年という年もいよいよ押し迫り、新たに迎える年もまた平穏であるように、とフェル・アルムの住民は祈りながら、日々の暮らしを送っている。
 ここネスアディーツからフェル・アルム東部の最大の街カラファーまで二日、そこから途中セル山地を越えて南下すること一週間ほどで帝都アヴィザノに至る。
 フェル・アルム島とエヴェルク大陸のティレス王国を繋げるこの港町が出来上がってから二年も経たない。というのに訪れた人々にとっては、すでに何世代に渡って栄えてきたような雰囲気すら感じるだろう。それは、フェル・アルムを復興させようとしている人々の情熱のせいに他ならない。

 あの時から――忌々しい“混沌”の到来の年、そしてアリューザ・ガルドへの還元を果たした年から――すでに三年。月日は瞬く間に過ぎていった。フェル・アルムの人々が受けた過大な衝撃を癒すにはあまりにも時間が足りない。とはいえ人々は、弱い者を助け、またお互いを鼓舞しあって懸命に生き抜いてきたのだ。
 アリューザ・ガルドという広大な世界の中に存在することになったフェル・アルムにとって、すべてが新鮮であった。今まで一つの国しかあり得なかったフェル・アルムにとって、他に国家があること自体、驚きに値する。そんな中にあって、海峡をはさんだ隣国ティレスとの交流が始まった。
 一方では軋轢《あつれき》も生じる。ティレスの隣国であるイイシュリア国との争いがあった。これはまだ記憶に新しい、昨年のことであった。

 海を渡ってフェル・アルムへと攻めてきたイイシュリア軍を、フェル・アルム最強の騎士達すなわち“烈火”は完膚無きまでに叩きのめした。この出来事がフェル・アルムの存在をアリューザ・ガルドに示すことになり、またティレスと対等に渡り合える国交を結ぶことに成功した。
 これこそフェル・アルムの国王サイファ・ワインリヴの力量なのだ。烈火達を陣頭指揮し、また国交交渉にあたっては自ら海を越えてティレスに赴いた。彼女のその熱意こそ、フェル・アルムの宝であり誇りに違いない。
 ティレスへの訪問を終えた国王一行を乗せた船は、昨日ネスアディーツに帰ってきた。我らが女王を一目見ようと、港町にはいつにもまして人々がつめかけているのだが、残念ながら人々の期待は裏切られることになるだろう。

* * *

 当のサイファは――白い息を吐きながら、ネスアディーツ商店街をひとり歩いていた。見目麗しく凛とした街娘に心惹かれる男も少なくないだろうが、まさかこの女性が国王その人だとは気付くはずもない。王という立場を隠して市井を歩き回ること。相も変わらずサイファにとっては何より楽しいことであったし、格好の息抜きでもあった。それに人々の暮らしぶりを肌で感じることも出来るのだ。
 今頃、一行が滞在している騎士団の館では、彼女の置き手紙を巡ってひと騒ぎ起きていることだろう。外交官リュアネテは彼らしくもなく右往左往し、近衛隊長であり烈火将軍であるケノーグは落ち着いているようで内心焦っているだろう。そして相談役ウェインディルはまたか、と溜息をついていることだろう。
「すまないな。でもしばらく自由にしてほしいんだ」
 サイファは彼らに心の中で謝ると、波止場へ向かっていった。寒さは一段と増し、肌に染みこむようだ。いずれ雪が降るのだろうか。

* * *

「まあ……今さら案じたところでどうにも出来ぬか」
 サイファが想像したとおりのひと騒動があり――ようやく収まった一室にて、ウェインディルは溜息をついた。突拍子のないことをする主《あるじ》ではあるが、約束を違えたことはない。彼女の手紙にあるとおり、帰ってくるというのなら待つのが賢明だ。ジルとレオズスの加護を受けている珠《たま》を着けている限り、サイファに害意を持つ者が仮にいたとしても、けして害が及ぶことはない。
「私も国王相談役という肩書きさえなければ、彼女について行きたかったものだな」
 だが、さすがに側近までもがいなくなったとあってはまずいだろう。ウェインディルはサイファ直筆の手紙を読み返した。

『たった今ハーン本人から、魔法を使った伝言が届いた。わが友に会う絶好の機会をもうけてくれた。諸卿には申し訳ないが、私サイファは二刻ほど外に出る。』

「ハーンめ。わざわざ神の領域の術を行使して、サイファを館の外に転移させたな」
 もっとも、ハーンの力を借りずとも彼女のこと、館の抜け道を探し出して必ずや外に出ていたに違いない。
(しかし……)
 ウェインディルはほくそ笑んだ。彼らこそが、私に活力を与えてくれる。やはり私はこの世界に――アリューザ・ガルドに戻ってきてよかった。今は生きていることを実感できるから。〈帳〉を名乗り、ただ死んでいないだけの存在に過ぎなかった、あの頃とは違うのだ。

 その時扉が叩かれた。近衛隊長であり烈火将軍でもあるウェルキア・ケノーグが、ウェインディルの部屋に入ってきた。
 短く刈った金髪に浅黒い肌を持つ彼は、ラクーマットびととしてはやや小柄であり、また二十四という若さでありながら烈火を率いている。その彼が今、疲れた表情を見せている。これは長い船旅のためだけではないだろう。相手が話の合うウェインディルだからこそ、彼も本音を露わにする。公の場で見る彼とは異なり、本来はかなり表情を豊かにあらわす性分なのだ。王宮――せせらぎの宮の侍女達が、そのあどけなさの残る風貌と相まって、かわいい、と噂するのもよく分かる。
「ウェルキア、どうした? 陛下が帰って来るのを待とう、と先ほど決めたのだから、やきもきせずに待っているのがいいと思うのだが」
 ウェインディルも今は、ひとりの友人としてウェルキアに接した。
 はあ、とウェルキアは普段の彼らしからぬ溜息をついた。今ここにいるのは烈火将軍“炎の旗”ケノーグではなく、厳粛な近衛隊長でもない。一介の若者ウェルキアだ。威厳という名のおごそかな鎧は取り外しており、年相応の振る舞いをみせている。
「あの方の性分……それは私も十二分に分かっているからいいんですがねえ。ここの騎士団長……といっても私の部下なのですが――を説得させるのにはほとほと参りましたよ。陛下が見あたらないのでどこにいるのか、と訊かれたんですが、まさかひとりで出歩いてるなど言えるわけがないでしょう? なんと言えば彼が納得するのか、言い訳に苦労しましたよ。言うことを間違えれば近衛隊長である私の名のもと、街中を捜索しなければならなくなるのは目に見えてますから。……まったく彼女は、私の苦労など本当に分かってくれているのやら」
 ウェインディルはからからと笑った。
「ああ、笑ったりして申し訳ない。たしかにウェルキア、君は嘘をつくのが苦手だからな。もっともその実直さゆえ、サイファから信頼以上のものを得ているのだろうな。サイファを守護する者、近衛隊長の任にも就いたというのだから」
「誉められてるのか、けなされてるのか分かりませんけれど、そもそも部下に対して嘘をつくというのは好ましくないものですよ。とくに私は烈火の長なのですから。まあ長と言っても、あなたに比べたら私なんぞはるかに若輩者ですけれどもね。――確かに烈火も変わりました。烈火がフェル・アルム王国の騎士団として公にされてから三年、もはやかつての――デルネアが暗躍していた、あのかつての時代の――恐怖そのものを具現化した烈火ではなくなっています……」
 そこまで言って、ウェルキアははっとして、ウェインディルの顔をまじまじと見た。この白髪のエシアルルが言わんとしていることは嘘をつく云々ではなく、どうやら別にあることに気付いたからだ。
 ウェルキアは用心深く尋ねてみた。
「あの……ウェインディル。もしかして我々のこと、知っているんですか?」
「……ふむ。やはりそうなのか? 本人から聞いた訳ではないのだけれども、何となく感じていた。もっとも私とて他人に言うつもりはないが」
 ウェルキアは安堵した様子で胸をなで下ろした。
「頼みますよ! これは秘密なんですからね。とりあえず今のところは」

* * *

 騎士団の館をあとにしたサイファは、界隈のざわめきを楽しみながら石畳の坂道を下り商店街を歩く。徐々に店の並びが無くなっていく。こうして町の中心部を抜けると、道は海の望める広場へとまっすぐつながっている。
 広場の中央に位置する小高い丘からは、ネスアディーツ港の様子が一望できるようになっている。エヴェルク大陸へ向かう商船や客船さらには釣り舟と、波止場に停泊している船の種類は多岐に渡る。そのなかにあって麗しい純白さが海の青に映える、あの美しい船こそが“白き衣”号である。サイファは今回この船に乗り、ティレス王国を訪れたのだった。
 冬の空気は澄み渡り、遙か対岸のエヴェルク大陸までが見える。フェル・アルムの大地が十も連なっても、あの大陸の広大さに及ばない。聞くところによるとエヴェルク大陸の東にはさらにもう一つの大陸――ユードフェンリル大陸があるという。アリューザ・ガルドの世界は、自分の想像がつかないほどに広いのだ。サイファは、海峡の向こう側に広がる大地のことを思い、またその大陸を闊歩《かっぽ》する友人の姿を思い起こした。時々彼らとは手紙をやりとりしていたが、いよいよに彼らと再会することを考えると、子供のようにわくわくする。約束の場所――船の泊まっていない波止場をめざし、サイファは丘をかけ降りていった。

 波の押し寄せる様子を眺めながら波止場にひとりたたずむ少年。濃紺の髪に白い肌の彼は、フェル・アルムでよく見かけるライキフびとの少年のひとりにしか見えないだろう。だが、サイファにとってルードは特別な存在であった。いや、かつて運命の渦中に存在した彼ら五人は、お互い同士が特別な存在であったのだ。
 サイファが駆け寄ってくるのに気がついたルードは、少々呆気にとられた様子だが、サイファに手を振って挨拶した。
 サイファは息を弾ませながら友人の元に駆け寄ると、彼の両手を取って再会を喜んだ。
「ルード、ひさしぶり。貰った手紙では何度か様子を聞いていたけれど、こっちに帰ってきていたとは知らなかったよ。……しかし、君も三年前とちっとも見た目が変わらないなあ。ウェインもそうだし、ハーンもそう。それなのに私だけが年を取っていくようで、なんだか寂しいぞ」
 サイファは嬉しそうに言葉を早口に紡ぐ。当のルードはまだ呆然としているようだ。
「ルード? どうかしたの?」
「まさかこの場所で陛……いや、サイファに会えるなんて思ってもみなかったんだ。だから今、ちょっと驚いてる。ハーンから魔法で伝言が届いていたもんだから、てっきり俺はハーンとここで落ち合うのかなあと思ってたんだけどさ」
 ルードの言うとおりだ。伝言をよこした当のハーンは一体どうしたというのだろうか? サイファが周囲をぐるりと見まわしても、人の気配は全くない。
「「ハーンは?」」
 二人の声が重なった。お互いにハーンの所在を知らない様子を知ると、笑い合った。
「まあ、あいつのことだから。どこからか、ひょっこり現れるに決まってるよ。……サイファもハーンに呼ばれてここに来たんだろう?」
 サイファはうなずいた。

 ハーンは還元の後もウェインディルと共にフェル・アルムに残り、ときおり王宮を訪れていた。いずれ彼がここから去っていくことが分かっていながらも、サイファは一時期本気で恋い焦がれたことがあった。しかしながら秘めた想いを伝えることなく、イイシュリアとの戦いが始まり、ハーンとも会えなくなってしまった。宵闇の公子レオズスたるハーンは、歴史の表舞台に現れるべきでないと考えていたのだろう。この戦いには参加することがなかったのだ。結局、自分が最後にハーンと会ったのは昨年、イイシュリアとの戦いが終結して、帝都に凱旋したときになってしまっていた。すでにハーンはフェル・アルムから立ち去ろうとしていた。この国の未来が明るいものであることを確信し、また自分の為すべきことを他に見つけたから。その時サイファは、ハーンに対してはじめて想いを打ち明けて、そして同時に吹っ切ったのだ。

「ありがとう。今のサイファには、大切に思っている人がいるね? 彼と共に、この国をいい方向に導いてほしいな」

 とらえどころのないハーンではあるが、彼がサイファに対して友情と好意を抱いていたのはサイファに分かっていた。その好意が恋と呼べるものなのかどうか、それはハーンの胸の内に隠されたままだったが。いずれにしても、そういった出来事もいい思い出として、今では心の中に大切にしまわれている。そう、自分には大切な人が出来ていたのだから。

「……で、サイファ」ルードが言葉を切りだした。
「手紙にも書いてたと思うけどさ。俺達は、ハーンとしばらくの間一緒に旅をしていたんだ。今年の七月くらいだったかな、『レオズスとしてやることがある』と言って別れちゃったんだけど……フェル・アルムにも戻ってきてないのか……」
「そう、ライカはどうしたの? もちろん一緒に来ているんだろう?」
「ああ。あいつは宿で休んでるよ。疲れちゃったんだろう。気持ちよさそうに眠ってるもんだから、起こさなかったんだ。実は俺達も一昨日フェル・アルムに着いたばかりでさ。これからセル山地に行って叔父さんたちに会ってくるつもりなんだ」
「……結婚するために挨拶回りか?」
 サイファの突拍子のない質問――本人はそう思っていないのだが――に泡を食ったルードは、ぶんぶんと首を振った。
「まさか、そうじゃないって!」
「なんだ。もうかれこれ三年が経つじゃないか。とっくに結婚しているのか、とも思っていたんだけどなあ。私は、ルード達の子供の名前まで考えていたんだぞ?」
 サイファは自分のことのように、いかにも残念そうな表情をしてみせた。
「まあ、そういう話をまったくしなかったわけでもないんだけどなあ」
 照れを隠すようにルードはそっぽを向く。共に運命を乗り切った者だというのに、こういう朴訥《ぼくとつ》な仕草は相変わらずだ。
「ライカと、ライカのじい様と話をしたことがあったんだ。そうして、ライカが成人を迎えるまでは待つことに決めた。アイバーフィンが成人を迎えるのは五十歳なんだとさ。今はまだ四十五歳だからあと五年、かな。まあそれを言っちゃったら、土の民セルアンディルとなった俺の成人というのは一体いつになるんだろうな?」
 ルードは笑って、言葉を続けた。
「それに結婚よりも躍起になってることがあってさ」
「それは、なに?」
「手紙にも書いてたけれども、俺達は冒険と称しながら、各地を旅してきた。その中にも楽しかったこと、辛かったこと。いろいろあった。そして生きるか死ぬかの瀬戸際に立ったことだって二度や三度じゃない。……俺は、冒険行を本として残したいと考えている。俺達が歩んだ冒険行を読んでくれる人がいたら――そしてその人の心の支えになったらいいなあと思っている」
「夢、か……」
 サイファはひとりごちた。
 ルードの夢はけして幻想などではない。彼の熱意のこもった心を見ることが出来たのなら、きっと宝石のごとく輝きを放っているに違いないだろう。そしてライカもまた同様に。彼ら自身の心の奥底に潜んでいた煌めきを探し当て、そしてさらに磨いているのだ。夢を実現させるために。
 自分もそうありたいものだ。サイファはあらためて思った。
「……ま、ついでに有力諸侯の資金を得ることが出来たのなら越したことはないとも考えてたりするんだけどな。好きでやってることだといっても、アリューザ・ガルド各地を巡るのってそれなりにお金がかかるもんだし、さ。まだまだ行きたいところは尽きないよ」
「うらやましいもんだ。私も君たちについていきたいと心底思うよ。私もまた、アリューザ・ガルドを見てみたい。手紙を読むにつけ、毎回そう思うんだ」
「でもさ、サイファは見つけているだろ? この国で、国王として、熱意を持ってやるべきことを。……あとは、そうだな……婿さん探しかな?」
「ふふん……婿さん探し、ねえ」
 サイファは人差し指を唇に当て、笑ってみせた。
「実は、するんだよ。結婚」

 サイファの言葉は時として――いつもかもしれないが――意表をついてくる。その中でも今の言葉は間違いなく衝撃的だったに違いない。あんぐりと口を開けたままのルードに対し、サイファは言った。
「ああ。実はこれを話したのは君が初めてだ。私のまわりだって誰も知らないはず……ああ、ウェインだったら知っててもおかしくはないかな? 来年になって早々に発表をするつもりなんだ」
「はあ……いや、驚いたよ。それで、誰となんだい?」
「現近衛隊長、そして烈火の将軍のウェルキア・ケノーグだよ。詳しいいきさつは、君たちがアヴィザノに来たときに話すよ。のろけ話まで含めてね。まあ、たぶん長くなると思うぞ」
 出来ればアヴィザノまで来てほしいな。そう言ってサイファは笑った。
 ひとつの幸せを自分は得ようとしている。けれども終点ではない。これからまだ、自分には為すべきことがたくさんあるのだ。自分のこと、そしてフェル・アルムのことについて、彼女なりの考えを持っている。それらは決して、簡単に為せるものではない。心の炎を絶やさずに持ち続けることが大切なのだ。

* * *

「……ん? この気配は、ハーンか?」
 ルードが言うなり、二人のすぐ横の空間がいびつに歪む。まるで水がとぐろを巻いたふうになったその空間から、いくつかの文字が浮かび上がってくる。サイファもルードも、これが何なのか分かっている。ハーンから届く魔法の伝言だ。
 本来、神の技はこんな些細なことに使うべきものではないのだろうが、あえて行使してしまうところが何ともハーンらしい。

『やあ。すまない。アリューザ・ガルドに着くのが遅れてしまっている。サイファとルード君達も既に落ち合っていると思うんだけれど、僕がそちらに行くまであと一刻ほど待ってくれないかな? ディトゥア神族の会合を済ませたんだけれども、ちょっとその後で思い立って、とあるところに寄ろうと思ってね。まあ、みんなが揃うことになるんだからさ。想像はつくと思うけれど……。
 会える時をお楽しみに! ティアー・ハーン 』

 二人がその文字を読み終わると同時に、字は消え失せて空間も元に戻った。
 ルードは苦笑を漏らした。
「一刻も待たなきゃならないっていうのかよ? しようがない。宿に戻って、ライカを起こしにいってくるかな? サイファはどうする?」
「私もついていくよ。ここでひとりで待ってても寂しいし、それにこの海風はけっこう寒い」
「それもそうだな。それじゃあ行こう。ライカのやつ、起きたら目の前に国王陛下がおわすとなったらさぞ驚くだろうな」
 少々時間が長引いてしまうな、とサイファは心の中でウェルキア達に再度詫びた。さすがに今夜催される予定の晩餐会に欠席したら問題であろうが。
(いや……)
 いっそのこと、ルード達に同席してもらうのも手かもしれないな、とサイファは考え、そして決断するのだった。運命の渦中に存在した自分達五人、そして“彼ら”との再会は、どんなに素晴らしいものになるのだろう!
(ジルにまた会えるんだ!)
 サイファは心躍らせながら、ルードと共に歩いていくのであった。

 港町に雪がちらつきはじめる。陽の光を受けたそれらは、なお白く輝く。
 しばらくはここフェル・アルム島で皆が一緒に過ごす、楽しい日々が続くだろう。
 いずれ、再び離ればなれになる時が来る。しかし孤独とはもはや無縁だ。自分達の持つ心の煌めきが共にある限り、強く結びついているのだから。

【終】

そして彼らの情熱は終わることがない――。

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〈さらにその後の彼らについて〉

 ルードとライカは共にアリューザ・ガルドを巡る冒険家となる。
 各地を転々とするうちに名声を勝ち得、さまざまな王国の実力者達の支援を受けながらさらなる冒険行を重ね、アリューザ・ガルドの未踏地域にも度々足を踏み入れる。歴史上は冒険家テルタージ夫妻として知られるようになる。特に一一〇〇年初頭におこなった、「天を彷徨う城キュルウェルセ」の冒険行は名著として広く知られることとなる。(一説によると、アリューザ・ガルドの識字率がこの時期を境に向上したらしい)
 彼らが結婚したのは(ライカが五十歳の成人を迎えた)一〇六四年のこと。一〇七〇年に長女ティセシア(名付け親はサイファだという)、一〇七九年には長男エウディスーンをもうける。冒険家を引退した後は、ライカの故郷ウィーレルにて慎ましやかに暮らした。
 聖剣所持者であったルードは、聖剣を持った瞬間から土の民セルアンディルとなったわけであるが、おそらく今の世界において彼以外にセルアンディルは存在しないと思われる。ティアー・ハーンとは終生に渡り良き友であった。

 ハーンは一時期フェル・アルム島に滞在するが、やがて去っていく。彼はディトゥア神族の長イシールキアのもとに赴いたのだ。イシールキアはディトゥアの神々を呼び寄せてハーンを裁く。そしてハーンは名実共に、ディトゥア神族の一柱すなわちレオズスとしての存在を赦されることになり、かつて身につけていたおのが闇の力を取り戻した。
 その後は聖剣ガザ・ルイアートを探すため、アリューザ・ガルドや諸次元を彷徨することになる。聖剣の絶大な力に干渉を受けない唯一の存在こそレオズスであり、レオズスもまた英雄の介添人として宿命付けられていることを自覚しているからだ。
 レオズスはいずれ歴史の表舞台に顔を見せることになるだろうが、それはまた別の物語。
 また彼は、何人かの子供をもうけたらしいが、本人に聞いたところで適当にはぐらかされるだけであろう。

 ウェインディルは、“混沌”に蝕まれてしまったフェル・アルム王国を復興させ、またフェル・アルムの民とアリューザ・ガルドを結びつける橋渡し役として尽力した。
 彼の種族、すなわちエシアルルならば、一定の期間(二百年ほど)を経たあとに肉体を眠らせて、次元の狭間にある“慧眼《けいがん》のディッセの野”に百年の間、精神を赴かせるのだが、ウェインディルはそれをすることなく、エシアルルとしての生を今生でまっとうさせることを決意する。
 ウェインディルは相談役として国王サイファによく仕え、ついには王位継承権第二位を獲得するに至るが、サイファの没後はフェル・アルム北部のウェスティンに館を構え隠居する。
 隠居後の彼はかつての悲劇を繰り返さないようにと、魔法の研究に没頭する。晩年近くなり、優秀な弟子と後継者を得、彼らと共に魔導学の復興にも大いに貢献した。

 サイファはよく国政に携わる名君となった。宰相らと共に国政をまとめる一方で、外交手腕には非常に長けていた。一〇六〇年、烈火の将軍ウェルキア・ケノーグと結婚する。同年に長男ジル、一〇六四年に長女ルミエールを得るが、サイファは彼らに王位を継がせることがなかった。以来、フェル・アルムに王はなくなり、ワインリヴ王朝は終焉を迎えるが、フェル・アルム諸侯の中から長が選出され、サイファの遺志を継ぎ、よく国政を執ることとなった。フェル・アルムは強大な防衛力を有する一方で、領土の拡大をすることはなかった。後に魔導学発展の地となったゆえんであろう。
 サイファは変わらず、側近の目を盗んでフェル・アルム各地に出かけることがままあったという。大陸に渡り、ルード達のもとを訪れたという話もあながち嘘とは言い切れない。

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