『赤のミスティンキル』

 以降、『赤のミスティンキル』に関する史料や伝承は、公《おおやけ》のものとしては後世に残されていない。
 魔導を復活させたミスティンキル。彼がこの後、どのような人生を送ったというのか。断片的に残されている蒼龍アザスタンや宵闇の公子レオズスの記憶を元に、ここに著述する。
 しかしながら――アリューザ・ガルド世界が緩慢たる滅びの時――“永遠の黄昏”を迎えた今なお、大いなる謎として残る“忘却の時代”。これについて知る手がかりは、永遠に失われたままである。

§ 第四部 あらすじ

(一)

 ミスティンキルの意識は、冷たい硝子質の地面に横たわっていた。
 彼は、ここがかつて来たことのある場所であることを知った。つまり、“月の界”であることを。ただし周囲は薄暗がりに包まれている。
 ミスティンキルの身体は依然アリューザ・ガルドにあるが、おそらく人格は魔女のものとなっているだろう。いかな運命の計らいか、意識だけ、この月まで飛んできてしまったのだ。
 月は死者の世界――“幽想の界《サダノス》”へと繋がっている。ならば自分は死んでしまったのだろうか――?
 ここに彼を知る者は誰もいない。“自由なる者”イーツシュレウも、ユクツェルノイレも――
 彼が感傷的になった時、青く輝く月の小さな精霊が一人、飛んできた。
 その全身が水晶か硝子で構成されたような精霊。人の形を象っていながらその顔は無貌――目も口も付いていないものだった。
 性別も定かでないその精霊は語った。
「あなたはなにかの間違いで、ここに辿り着いてしまった。帰る方法をぼくは知っている。ついてきて」

◆◆◆◆

 それはちょっとした冒険だった。化石の森をさまよい、寒々しい硝子質の鍾乳洞を通り抜け、断崖を滑り降り、険峻な岩山を登る――さらには怪異に出くわし、悪心を持った精霊を打ち倒したりもした。
 ウィムリーフがいたら、さぞかし心躍る探検だったことだろう。
 ようやく彼らは目指していた場所――純白の尖塔に辿り着いたのだった。

(二)

 ここはかつて、魔導が封じられていた場所。ミスティンキルとウィムリーフが魔導の封印を解いた場所であった。
 ここからならば元いた世界に帰ることができる。そう言い残し精霊は去ろうとした――その時。
「ウィム」
 精霊の本質をようやく見抜いたミスティンキルが口を開いた。
「君はウィムリーフだ」
 精霊の身体から青い光がまぶしく広がって周囲を覆い――光が止んだ時、そこにウィムリーフが立っていた。  ウィムリーフは嬉しそうでいながら悲しそうな表情を浮かべ、ミスティンキルに言った。
「ずいぶんと遅かったじゃないの、ミスト。すっかり待ちくたびれちゃったわよ」

◆◆◆◆

 ウィムリーフもまたミスティンキル同様、意識だけの存在となっていた。彼女はこうなったいきさつを告げる。
 あの時――魔導を解放した時、核の中にはフィエル・デュレクウォーラの意識も潜んでいたのだ。
 この魔女はかつて魔導王国が滅びる際、龍たちの炎によって焼け死んだ。しかし、その意識だけは執念深く残り続け、その後の大いなる災いを経て魔導を“月の界”に封印することになるまで魔導塔の核の中に潜み、月の“封印核”の中においては、ユクツェルノイレと共に長きにわたって眠り続けていたのだ。解放される時を待って。
 魔女の意識は、魔導の封印が解かれると同時にウィムリーフの体内へと入り込み、代わりにウィムリーフの意識を押し出した。ウィムリーフの人格はその後も彼女に残ったものの、時が経つにつれて徐々にフィエルの人格が強まっていく。ラミシスの島へと冒険することになったのは、ウィムリーフの意志ももちろんあったが、フィエルの意志もはたらいていた。
 彼らが冒険を続け、オーヴ・ディンデに至ったとき、ウィムリーフの身体は完全にフィエルの意識に支配された。と当時に、ウィムリーフの意識は彼女の体内にあるのではなく、遙か遠く“月の界”にあるのだと、はじめて彼女の意識が単独で覚醒することとなる。
 依り代を失い、意識のみの存在となったウィムリーフは、月で生きていくために精霊となることにした。ミスティンキルが気づかなければ、彼女の意識は元に戻ることもなく、そのまま精霊として生を終えていただろう。

◆◆◆◆

 ミスティンキルは、赤龍へと姿を変えていた。魔導師となり世界の理《ことわり》を理解した彼は、ついに龍化を果たしたのだ。
 そしてフィエルとの決着を付けるために、龍はアリューザ・ガルドに戻るとウィムリーフに告げた。
 ウィムリーフは迷うことなく、彼について行くと告げる。彼女は精神の繋がりを通して、フィエルのことを深く知ることができたのだ。意識のみの存在である彼女は、物質界であるアリューザ・ガルドではあまり長い時間活動することはできないだろうが(ミスティンキルもそうであろうが)、またとない力になる。
 ミスティンキルとウィムリーフは強く願い――“月の界”から脱した。

(三)

 アリューザ・ガルドに転移した二人。ここ物質界では一週間あまりが過ぎ去っていた。ミスティンキルはウィムリーフを乗せ、空へと駆け上がる。そして魔力によって、自分の身体――今はフィエルのものとなっている――が、どこにいるのか探し当てた。

◆◆◆◆

 フィエルはすでに、オーヴ・ディンデがあった領域まで辿り着いていた。超常の魔導を駆使し、朱色の龍を打ち倒し、さらにはレオズスが作った空間の封鎖をも引きちぎって。
 積年の願望、魔導の究極はついに叶う。
 遡ること千年以上。古代魔術が発掘され、魔法学が始まったときから――

◆◆◆◆

 空を駆るミスティンキルとウィムリーフは、同胞となった蒼龍アザスタンと邂逅を果たすと、速度をいや増して禁断の地へ――オーヴ・ディンデの空域へと飛ぶ。
 禁断の地を守護するは朱色《あけいろ》の龍すなわちヒュールリット。しかし彼はフィエルの放った強大無比の魔導により致命傷を負った。
【貴方をこの地の守りから永久に解放する】
 ミスティンキルが誓うと、誇り高き龍ヒュールリットは翼を広げ、残された力の限り、天の高みへと舞い上がっていき――姿を消した。
 それ以降、この朱色の龍を見た者はいない。
 そしてミスティンキルら三者は、核心部へと到達したのだ。

 絶海に浮かぶ小島のひとつ。そここそがかつて、ミスティンキルが魔女フィエルと対峙した場所、オーヴ・ディンデ最深部だ。両者の激突の結果、メリュウラ島など影形もなく吹き飛んでしまった。
 ミスティンキルの身体を乗っ取った魔女、スガルトの意志を継ぐ者、大魔法使いフィエル・デュレクウォーラは今、余裕の体《てい》で岩場に腰掛け、ミスティンキルら三者を待ち構えていた。

「私を止めに来たのですね?」
 ミスティンキルの声色で、魔女は語る。
【無論。貴様がここまでの妄念をもって果たさんとする望みなればこそ、だ】
 ミスティンキルは言った。
「魔導王国の復活――いいえ。私は国家などに興味はない。不死の研究――私が今ここにいることが、それの結果。すでに果たしている。“光”をつくりあげる――そこに実利はあるのでしょうか?」
【問答など望んではいない。魔女】
「……時を遡る。“忘却の時代”へと」
 魔女は宣言した。
「私はその時代を長く生き、何が起こっていたのかを知る。それが目的のひとつ。そして今の魔法ではない、“原初の”魔法の究極をこそ、私は学びたい。これがもうひとつです」

◆◆◆◆

 アリューザ・ガルドで使われている魔法は、古代王国アル・フェイロスの遺跡から発掘された魔法書を礎《いしずえ》としている。

 ――遙かな昔、アル・フェイロスの民の中に突如、超常の力を覚醒させた者達が現れた。“魔法”と呼ばれるようになるその大いなる力は、やがて野心ある者達によって戦乱を呼んだ。大戦が終わった後に古代王国は瓦解する。ここまでは“劫火の時代”と呼ばれている。
 “忘却の時代”はそこからはじまる。
 歴史書は一切存在せず、長きを生きるエシアルル達の記憶はおろか、神々の記憶からも消え失せているのだ。
 アリューザ・ガルドにおける最大の謎である。

 “忘却の時代”は六百年に及んだ。
 そして、過ぎ去ったあとの事実として、魔法の大部分が失われてしまい、術やまじないのみが細々と残るに過ぎなくなったのである。
 先述したとおり、魔法書が遺跡から発掘されるまで。

 なぜこのような歴史の空白が訪れ、また去っていったのだろうか?
 自然の大災害、神々の怒り、魔導の暴走、“混沌”の支配、冥王ザビュールの復活――過去から現在に至るまで、さまざまな説が賢人やさらにはディトゥア神族のなかでも持ち上がるが、いずれも確固たる証拠がない――

◆◆◆◆

【不可逆だ。時の遡行など神々の力をもってしてもありえんぞ】
「けれど私の意識は長きにわたり世界と交わっていた。そこで知ったのです。赤龍よ。魔導を復活させし者よ。貴方などより私のほうが、世界の理《ことわり》にはるかに長じている。……そう、大いなる神々よりも」
【人間にしては傲慢に過ぎる、魔女!】
 ミスティンキルは吠えた。
「私は慎ましやかに学びたいだけ。神の領域に至ることは結果でしかありません。……かつて私は貴方に言いました。『力を貸しなさい』と。さて、どうでしょう。意識体ではそう長くは保ちません。……この、元の身体が欲しくはありませんか? 私とひとつになればそれが叶います。龍の魔力をも加えれば、“時の魔法”の発動が確実になる。この世界も無事で済みます」
 ミスティンキルは魔女の次の言葉を待つ。
「魔法の発動と同時に、私はこの時代から消え失せる。この世界に影響なくね。では不完全なままだとどうか? 魔法は発動し、私は時を遡ります。これは変わらない。けれどもその反動として、制御不能の魔力が暴走して――おそらく東方大陸《ユードフェンリル》くらいは吹き飛ぶでしょう」
「……さすがに大きく出すぎたね」
 その時、空間を渡ってハーンが、否、宵闇の公子レオズスが現れた。

 事ここに至り、ディトゥアの神々が手をこまぬいているわけにも行かない。神の一柱としての力を発揮したレオズスは魔女の背後に突如出現し、神速でことを為した。
 漆黒剣レヒン・ティルルが魔女の――ミスティンキルの身体を頭から一刀両断したのだ。
「これで終わるとは思ってないけれどね」
 レオズスの言うとおり、フィエルの意識は死なず、次の宿主を探す。意識さえあれば、時の果てに機会はやって来る。
【ウィム!】
「ええ!」
 この時を待っていたとばかりに、ウィムリーフがフィエルの意識を捕捉した。彼女にだけは視えていたのだ。
 そして、かつてフィエルがウィムリーフと同一になっていたように、今度はウィムリーフがフィエルを取り込んだ。ウィムリーフの内なる、静かな戦いがはじまったが、やがて決着が付いた。
 ウィムリーフとフィエルは全きひとつのものとなった。

◆◆◆◆

 意識のみの存在であるミスティンキルとウィムリーフ。物質界に顕現している時間が限界を迎えようとしていた。
「……君の身体を殺めてしまった」
 レオズスが詫びる。
【デュレクウォーラに身体を持っていかれてからは、執着はしていません】
 ミスティンキルが応えた。
【おれは彼女に敗れたけれど、最後にウィムが勝利した】
「そう捉えてくれるんであれば、僕の罪の意識も少なくて済む」
 と、レオズス。
「しかし、これからどうする?」
「わたしは“月の界”へ戻ります。フィエルの意識も、あそこならば穏やかに過ごせるから」
 フィエルのことを理解したウィムリーフがレオズスに言う。
【……ならばおれも。共に月へ行こう】
 ミスティンキルとウィムリーフは視線を交わした。
【エリスメアのことを見守って下さい】
「……父親として、承知した」
 ティアー・ハーンは笑った。
「大丈夫。あの子の人生も、魔法のこれからも、ね」
【では、これでさらば、だな】
 アザスタンが言った。
【さて、どうかな】
 と、ミスティンキル。
【我ら龍は、“炎の界《デ・イグ》”で繋がっているゆえに】

 そしてミスティンキルはウィムリーフを乗せると、天高く駆け上がっていった。

◆◆◆◆

 アリューザ・ガルドの夜空、白銀に光る月。
 その月がときおり赤みを帯びたり、青くなったりと輝きを変えるのは、“月の界”の主としてミスティンキルとウィムリーフが司っているがゆえである。

〈赤のミスティンキル・了〉

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